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スユ70 2-079
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、スユ70のキットです。スユ70は、17m級郵便車として計画され、設計されましたが実際に制作されることはありませんでした。
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スユニ72(マユニ78) 2-013
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、オハ71から改造されたスユニ72のキットが含まれます。本キットのスユニ72は、客車復旧車のオハ71から改造された0番台をプロトタイプとしています。これらは後年、スエ71に改造され、救援車として車庫の片隅にたたずんでいました。 オハ78から改造され、3軸台車を履いたグループはマユニ78を名乗っていました(車体は同一)。このグループは後年スエ78に改造され、ラストナンバーのスエ78 15はJR東日本の保存運転用客車として高崎車両センターで最後の活躍を遂げた後に2008年に解体。スエ78 5が小樽市総合博物館に保存されています。 また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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スユ72 2-012
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、スユ71から改造されたスユ72のキットが含まれます。スユ71は当初から郵便車として製造されましたが、登場後間もなく車掌室の追加改造を受け、スユ72となりました。これらは後年、スエ71に改造され、救援車として車庫の片隅にたたずんでいました。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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オユニ71 2-011
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、オハ71から改造されたオユニ71のキットが含まれます。これらは後年、スエ71に改造され、救援車として車庫の片隅にたたずんでいました。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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オユニ70 2-010
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、当初から郵便荷物車として製造されたオユニ70のキットが含まれます。これらは後年、オエ70に改造され、救援車として車庫の片隅にたたずんでいました。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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マニ76 2-009
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、オハ71から改造されたマニ76のキットが含まれます。変則的な窓と扉配置が特徴です。これらは後年、スエ71に改造され、救援車として車庫の片隅にたたずんでいました。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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マニ74 2-008
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、オハ71から改造されたマニ74のキットが含まれます。これらは後年、スエ71やオル71に改造され、救援車や配給車として車庫の片隅にたたずんでいました。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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マニ72 2-007
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、当初から荷物車として製造された、電車復旧車のマニ72のキットがふくまれます。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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マニ71(マニ78) 2-006
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、当初から荷物車として、客車種車で製造されたマニ71のキットが含まれます。これらは後年スエ71といった救援車に改造され、車庫の片隅にたたずんでいました。3軸台車を履くとマニ77となります。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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スニ75 2-005
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、オハ70から改造されたスニ75のキットが含まれます。これらは後年、オエ70に改造され、救援車として車庫の片隅にたたずんでいました。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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オニ70 2-004
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、当初から荷物車として製造されたオニ70のキットが含まれます。これらは後年、オエ70に改造され、救援車として車庫の片隅にたたずんでいました。また、台車と床下機器、表記インレタは別売となります。
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オハユニ71 2-003
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれませんでした。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると、劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 オハユニ71はオハ71から改造された郵便荷物三等合造車でした。被災度の少ない車両から復旧されたオハ71-500番台を使ったため設備もそこまで劣悪でなく客扱いとして長く活躍しました。また、非電化の吾妻線に乗り入れていた準急草津の控車として、C11と80系電車の間につながれていたことも有名です。本セットにはスハ32由来または、オハ35由来のオハユニ71が含まれています。 ちなみに、長野原線にいたタイプはオハ35型改造型、およびスハ32(一部リベット)改造タイプだったようです。
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オハ71系(オハ77)キットセット 2-002
¥5,500
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれませんでした。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると、劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 オハ71とは70系客車のうち、20m級客車として製造されたものを指します。量産第一で作られたため、製造所や種車よって仕様が異なり、多くのバリエーションがあります。本キットには3種類のオハ71系(正規図面の0番台、スハ32種車の500番台、オハ35種車の500番台)のキットが含まれます。また、台車及び床下機器、表記インレタは別売となります。
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オハ70系セットキット 2-001
¥5,500
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれませんでした。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると、劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 オハ70とは70系客車のうち、17m級客車として製造されたものを指します。量産第一で作られたため、製造所によって仕様が異なり、多くのバリエーションがあります。本キットには3種類のオハ70系のキットが含まれます。また、台車及び床下機器、表記インレタは別売となります。
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