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武蔵野鉄道 デハ100
¥7,700
デハ100 は武蔵野鉄道( 現: 西武鉄道) が大正11 年に製造した同社初の電車です。 本キットには、車体と屋根、台枠、台車、ベンチレーター、床下機器が各々2両分含まれます。車輪、連結器、及び動力ユニット(任意)は各自ご準備ください。 武蔵野鉄道は大正4 年に池袋~飯能を開通させました。その後、沿線人口の増加によって利用客が増加すると、全線を電化し速達化と高頻度化を同時に達成する運びとなり、大正11 年から14 年にかけて池袋~飯能の全線で電化工事が完了しました。 その際に、武蔵野鉄道初の電車として新造された車がデハ100です。デハ100 は101~104 の4 両が製造されたほか、付随車としてサハ105,106、サハニ111,112 が同時期に製造。その後増備車としてデハ131,132,311 が、サハ107,108,135,136,315 が製造されました。これらは武蔵野鉄道線内で戦後まで活躍しましたが、その後は近江鉄道や松本電気鉄道、岳南鉄道等に譲渡されたほか、抗体か改造を受け消滅しました。
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扉交換/ステップ増設キット_大/中型電車向け_610mm扉_私鉄型A_2両分
¥770
木製省電は製造時期によって 2438mm(8' 幅小型車、主に明治末期~大正初期)、 2590mm(8'6" 幅中型車、主に大正中期~大正末期)、 2700mm( 大型車、主に大正末期以降) と異なる車体幅で製造されました。 しかし、昭和に入り、鋼製車が登場して車体幅が2800mm に統一されると、既存木製車に対してもステップを改造し車体幅を2800mm に統一する更新工事が行われました。 本キットは、コリン堂の省電キットをベースに、扉を交換しステップを改造することで鋼製車が主流になった後、具体的には昭和10 年代以降の木製車を再現するためのキットです。40 系電車や73 系電車と合わせ凸凹編成を再現する場合や、私鉄譲渡後の姿を再現する場合に最適です。
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扉交換/ステップ増設キット_大/中型電車向け_1100mm扉_腰板3枚_2両分
¥770
木製省電は製造時期によって 2438mm(8' 幅小型車、主に明治末期~大正初期)、 2590mm(8'6" 幅中型車、主に大正中期~大正末期)、 2700mm( 大型車、主に大正末期以降) と異なる車体幅で製造されました。 しかし、昭和に入り、鋼製車が登場して車体幅が2800mm に統一されると、既存木製車に対してもステップを改造し車体幅を2800mm に統一する更新工事が行われました。 本キットは、コリン堂の省電キットをベースに、扉を交換しステップを改造することで鋼製車が主流になった後、具体的には昭和10 年代以降の木製車を再現するためのキットです。40 系電車や73 系電車と合わせ凸凹編成を再現する場合や、私鉄譲渡後の姿を再現する場合に最適です。
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扉交換/ステップ増設キット_大/中型電車向け_1100mm扉_腰板2枚_2両分
¥770
木製省電は製造時期によって 2438mm(8' 幅小型車、主に明治末期~大正初期)、 2590mm(8'6" 幅中型車、主に大正中期~大正末期)、 2700mm( 大型車、主に大正末期以降) と異なる車体幅で製造されました。 しかし、昭和に入り、鋼製車が登場して車体幅が2800mm に統一されると、既存木製車に対してもステップを改造し車体幅を2800mm に統一する更新工事が行われました。 本キットは、コリン堂の省電キットをベースに、扉を交換しステップを改造することで鋼製車が主流になった後、具体的には昭和10 年代以降の木製車を再現するためのキットです。40 系電車や73 系電車と合わせ凸凹編成を再現する場合や、私鉄譲渡後の姿を再現する場合に最適です。
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扉交換/ステップ増設キット_大/中型電車向け_610mm扉_2両分
¥770
木製省電は製造時期によって 2438mm(8' 幅小型車、主に明治末期~大正初期)、 2590mm(8'6" 幅中型車、主に大正中期~大正末期)、 2700mm( 大型車、主に大正末期以降) と異なる車体幅で製造されました。 しかし、昭和に入り、鋼製車が登場して車体幅が2800mm に統一されると、既存木製車に対してもステップを改造し車体幅を2800mm に統一する更新工事が行われました。 本キットは、コリン堂の省電キットをベースに、扉を交換しステップを改造することで鋼製車が主流になった後、具体的には昭和10 年代以降の木製車を再現するためのキットです。40 系電車や73 系電車と合わせ凸凹編成を再現する場合や、私鉄譲渡後の姿を再現する場合に最適です。
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扉交換/ステップ増設キット_小型電車向け_610mm扉_2両分
¥770
木製省電は製造時期によって 2438mm(8' 幅小型車、主に明治末期~大正初期)、 2590mm(8'6" 幅中型車、主に大正中期~大正末期)、 2700mm( 大型車、主に大正末期以降) と異なる車体幅で製造されました。 しかし、昭和に入り、鋼製車が登場して車体幅が2800mm に統一されると、既存木製車に対してもステップを改造し車体幅を2800mm に統一する更新工事が行われました。 本キットは、コリン堂の省電キットをベースに、扉を交換しステップを改造することで鋼製車が主流になった後、具体的には昭和10 年代以降の木製車を再現するためのキットです。40 系電車や73 系電車と合わせ凸凹編成を再現する場合や、私鉄譲渡後の姿を再現する場合に最適です。
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[1/80]デハ63100(モハ10)
¥12,000
本セットには、基幹系列となるデハ63100/モハ10のキットが含まれます。またデハ63100は出自や製造年によりかなり外見のバリエーションがあります。ご購入前にご確認ください。 1/80スケールです。 デハ63100系列は大正12(1923)年から大正14(1925)年にかけて製造されました。本系列は、乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が分離されていました。3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルを持ち、関東大震災後の復興輸送を支えました。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を中心に山手線、中央線など東京の省電区間で活躍しました。一部のサハ26は先頭車化改造が行われたほか、 鋼製電車が主流となってくるとモハ10の一部がモユニ12やモニ13に改造され、戦後も長く活躍しました。一部は東急などの私鉄にも移り、活躍の場を広げています。その他の旅客用として残された車両は鋼体化改造を受け、50系電車となり戦後も長くクモハ11の一部などとして鶴見線、南部支線などで活躍しました。 また、台車、パンタグラフ、線路、その他アップグレードパーツは含まれていません。
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[1/80]デハ6310(サハ4/19)
¥12,000
デハ6310の1両セットです。1/80スケールです。 本キットから、デハ6310、デハ6380、クハ6410、クハ6430(のちのサハ6,19)のどれか2両を製作することが可能です。キクハ16800、池上電気鉄道デハ20、目黒蒲田電鉄モハ30、青梅電気鉄道サハ10富士山麓電気鉄道ハニ250、鶴見臨港鉄道などへの改造種車としても最適です。
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デハ33500/モハ1(クハ23500/クハ15)_両運転台タイプ_2両セット
¥7,700
本キットからは、デハ23500/33500(のちのモハ1)の両運転台タイプが制作できます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。国鉄線上からは昭和10~20年代に消えましたが、生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、基幹系列となる三等電動車デハ33500/23500のキットが含まれます。また、デハ23500もデハ33500と同様の車体を持ちますが、床下機器に差異があります。登場時はデハ33500は京浜線、デハ23500は中央、山手線で分けて運用されていましたが、デハ23500が消えた後はデハ33500が両線で運用されていました。 また、本キットは私鉄譲渡時などに両運転台化改造を受けた車をモチーフにしております。
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デハ6260 更新車_2両セット
¥7,700
デハ6260 更新車の2両セットです。 本キットから、デハ6260 更新車を2両製作することが可能です。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-05R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治43年式になります。
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吉野電車テハ二100
¥7,700
吉野電車テハ二100、2両セットです。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治45年式になります。
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吉野電車テハ1
¥7,700
吉野電車テハ1、2両セットです。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治45年式になります。
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デ963/甲武鉄道の電車_2両セット
¥7,700
甲武鉄道の電車(デ963/ニデ950)のキットです。全部で2両分のパーツが含まれております。トロリポール、台車も含まれたオールインワンキットですが、車輪と連結器は同梱されてませんので各自ご準備ください。車輪は6mm径のものを推奨しております。 明治37 年、甲武鉄道(R 東日本中央本線の前身) が飯田町~中野間を電化しました。その時に準備された二軸電車のひとつがデ963( 当時は別名称) です。当時、路面電車では電車が普及していましたが、本系列は連結器と総括制御を備え、郊外電車として編成運転されることを前提として製造され、一線を画していました。主電動機や制御装置はアメリカGE 車、台車はブリル社から輸入し、車体は自社の飯田町工場で新製されました。 明治39 年、甲武鉄道の国有化によって鉄道院に引き継がれ、日本の国有鉄道における最初の電車になりました。その後、中央線、及び山手線の電化区間拡大に伴って活躍の範囲を広げ、一時は東京の全域で見られました。しかし、後継のボギー電車の増備に伴って大正3 から4 年にかけて電装解除され、客車として地方私鉄の開業むけに譲渡されました。譲渡先は信濃鉄道( 現大糸線)、佐久鉄道( 現小海線)、三河鉄道( 現名鉄三河線)、南薩鉄道でした。このうち、信濃鉄道から松本電気鉄道に移ったハニフ1(もとデ968)は国鉄電車の祖としての価値が認められ、同社車庫で保存。平成19 年にはJR 東日本に寄贈され、以降大宮の鉄道博物館で保存、展示されています。
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デハニ6450_2両セット
¥7,700
デハニ6450は、大正14年にデハユニ6450及びデロハ6130の一部を三等荷物車に改造して登場した形式です。まもなく荷物電車の旅客電車からの分離が行われ、活躍した時期は短かったようです。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR14(DT10)105PS型になります。 本キットは、そのようなデハニ6450を再現したキットです。デハニ6450には、デハユニ6450を改造種車としたもの、デロハ6130を改造種車にしたものとで形態差があり、本キットではどちらのデハニ6450を作り分けています。
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デハ6340系列(3扉仕様)_2両セット
¥7,700
キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 デハ6340-6363(デハ6340改造車)、デハ6351,6352,6361,,6364-6373(デロハ6130改造車)では、運転台反対側の小窓の有無の差異がありますが、組みわけが可能です。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。京浜線の開通と同時に登場したのがデハ6340系列で、当時の日本で最高水準の性能を持つ電車として登場しました。しかし、後継車の登場により、扉増設改造の上、三等格下げを受け京浜線以外の中央/山手線でも運用されるようになりました。昭和3年にはデハ33500とともにモハ1に編入(サハ6190はサハ25)に編入されました。本系列は第wカウ構造から鋼製化改造の対象外とされ、電動車は昭和8年までの国鉄線上から除籍。三信鉄道(現 : 飯田線)や南武鉄道、博多港湾汽船(現 : 西日本鉄道)や駿豆鉄道に譲渡され活躍しました。付随車は戦後の1952年まで国鉄線上で活躍したようです。
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東京最後のモハ1セット【デハ23500,33500/モハ1系列】
¥12,000
中央線最後のモハ1の編成と思われる、 モハ1043/1048/1052(旧デハ33500)、サハ19056(旧サハ6410)の4両セットです。 キット内容は屋根、車体、台枠、床下機器です。動力ユニット(TM07-R)、パンタグラフ(PS11)、連結器は別途ご用意ください。
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ワ50000/ワフ20000_2両セット
¥7,700
本キットは電車改造貨車のワ50000/ワフ20000のキットです。台車と床下機器、表記インレタ及びベンチレーターは別売となります。3扉と4扉の二つのタイプを模型化しています。 1926年に特別小口扱い貨物として誕生、32年に宅扱と改称された鉄道省提供の貨物輸送サービスは、現在の宅急便の先駆けともいえるものでした。当時、貨物を輸送するには基本的に大口輸送か小口輸送かの二択でした。大口輸送は貨車を自前で準備するシステムでシンプル。しかし小口貨物は極めて複雑な輸送体系と運賃体系であり、不便を極めていました。そこで宅扱が登場です。運賃を単一等級制とし計算を簡易化。さらに集荷/配達を含めた戸口から戸口まで輸送するというまさに宅急便の精神そのもののサービスでした。そしてそれに合わせ宅扱専用の専用の急行貨物列車、”急行宅扱貨物列車”が設定されるように。これは高速性と定時性を主眼に仕立てられた急行貨物列車であり、まさに戦前のスーパーレールカーゴといえる列車でした。 さて、そんな花形高速貨物列車にはワキ1という専用貨車が割り当てられました。しかし、次第に需要の急増にワキ1の増備ではこたえられなるように。そこで高速走行が可能な電車を改造して貨車にする案が浮上。こうして誕生したのがワ50000/ワフ20000です。ワ50000/ワフ20000は、塗装こそワキ1と揃えられていたものの、種車が16m級木造電車であったため、ダブルルーフ、木造車体、トラス棒装備のスタイルでした。これらは当時最新の貨車であったシングルルーフ、鋼製車体の13m級ワキ1の専用貨物列車編成の中に混結されて運用されました。見た目にはとても面白い編成であったろうと思われます。ちなみに、牽引機は電化区間ではEF51、非電化区間ではC51が担当。急行旅客列車並みの最高速度で運転されました。 しかし戦争の激化に伴い宅扱いは廃止に。ワ50000/ワフ20000も通常の有蓋車として運用されるようになりました。戦後、急行便などが登城するもワ50000/ワフ20000はその用途には供されず、一般用途に供されました。しかしこれも新型の貨車に押される形で廃車。一部が救援車ナエ7200に改造されるも1953年までに消滅しました。
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サロ33250/サロ17_2両セット【デハ23500,33500/モハ1系列】
¥7,700
本キットからは、サロ33250/サロ17を製作することができます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力は別途ご準備ください。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。付随車は鋼体化され長く活躍しました。戦後も生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、二等付随車のサロ33250のキットが含まれます。実車は前系列のサロ33200によって需要が賄えてしまったため、1形式1両しか登場しなかった珍車でした。
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サハ33750/サハ25_2両セット【デハ23500,33500/モハ1系列】
¥7,700
本キットから、サハ33750/サハ25が制作できます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力は別途ご準備ください。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。国鉄線上からは昭和10~20年代に消えましたが、生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、三等付随車サハ33750のキットが含まれます。サハ33750は登場時から両線に大量に投入され、運用されていました。鋼体車が主流となった後にも鋼製電動車に挟まれて長く活躍していたようです。
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デハ33500,23500/モハ1(クハ23500/クハ15)_2両セット【デハ23500,33500/モハ1系列】
¥7,700
本キットからは、デハ23500/33500(のちのモハ1)が制作できます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。国鉄線上からは昭和10~20年代に消えましたが、生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、基幹系列となる三等電動車デハ33500/23500のキットが含まれます。また、デハ23500もデハ33500と同様の車体を持ちますが、床下機器に差異があります。登場時はデハ33500は京浜線、デハ23500は中央、山手線で分けて運用されていましたが、デハ23500が消えた後はデハ33500が両線で運用されていました。
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阪急90形_4両セット
¥15,400
阪急90,91,92,93,94,95を再現できるキットです。 昭和元年、鉄道省から阪急に、デハ6250、デハ6285が3両ずつ譲渡されました。本セットではそれらすべての車両が含まれます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治43-45年式になります。91,92を制作する場合、GMブリル台車を別途ご準備ください。
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デハ6285 更新車_2両セット
¥7,700
本キットから、デハ6285 更新車を2両製作することが可能です。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-05R推奨)は別途ご準備ください。 ※台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治43-45年式になります。 デハ6250 は甲武鉄道から引き継いだ2 軸電車の後継として明治42 年に国有鉄道としては初めてのボギー電車として登場しました。当初はナデ6110、大正3年の称号改正でデハ6285 と呼ばれました。大正9 年、前後の戸の引戸化、片側3 扉化といった標準化改造がなされました。本キットは標準化工事後の姿を再現しています。主に山手線と中央線で運行されました。大正13 年に使用停止されると一部は目黒蒲田電鉄を通じ阪神急行電鉄に譲渡され90 形として活躍しました。阪急入線時、前面が非貫通スタイルに改造されました。本キットには非貫通スタイルになった後を再現するパーツも付属します。
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大正末期の帝都省電セット
¥26,000
大正13年から昭和初期(一部は戦後)までの京浜線、山手線、中央線の電車を再現しました。ペーパーキットです。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 沿線の発展とともに順調に発達してきた京浜線に転機が音連れます。関東大震災です。この復興輸送を支えるべく登場したのがデハ63100系列です。そのため普通車(3等車)はデッキを廃した3扉と全室ロングシート、つり革網棚という現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を以外にも山手線、中央線など東京の省電区間全域で活躍しました。また、前系列のデハ43200系列からも改造編入がなされたこともありバラエティ豊かでした。戦後にも活躍をつづけ、木造省電の代表格ともいえるでしょう。 本セットには、デハ63100系列の基幹系列となるデハ63100、三等中間付随車であるサハ33550が4両ずつ、ボックスシートの好評によってよく使われた二等付随車サロ43100が1両分のキットが含まれます。これらを組み合わせることで、大正12(1921)年以降の京浜線、山手線、中央線電車を再現できます。
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幻の東海道電車特急セット
¥18,000
本セットには、大正末期に登場した木造電車のデハ43200系列のうち基幹系列となる三等電動車デハ43200、及び三等付随車サハ43550が2両ずつと、二等付随車サロ43100、三等郵便荷物合造電動車デハユニ43850のキットが含まれます。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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