レーザー加工機の修理が完了いたしました。
通常通り注文を受け付けることができます。
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モニ13 2-099
¥2,500
モニ13は昭和6年に登場した荷物電車です。主に中央、山手、京浜、総武、横須賀線といった東京近郊電車区間で運用されたようです。 また、キットには台車(DT10)、パンタグラフ(PS11 or 14)、連結器は含まれておりません。別途お買い求めください。
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モユニ12 2-098
¥2,500
モユニ12は昭和6年に登場した郵便荷物電車です。主に中央、山手、京浜、総武、横須賀線といった東京近郊電車区間で運用されたようです。 また、キットには台車(DT10)、パンタグラフ(PS11 or 14)、連結器は含まれておりません。別途お買い求めください。
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デユニ6450/モニ3/サニ27 【デハ6340/モハ1系列】 2-078
¥2,500
デニ6450は大正15年に登場した荷物電車です。昭和3年の改称後はモニ3として活躍しました。主に中央、山手、京浜、総武、横須賀線といった東京近郊電車区間で運用されたようです。 道路の整備が進んでおらず、トラックなどの自動車が普及していなかった時代、鉄道は小口荷物の輸送も担っていました。電車の黎明期は、合造荷物車を通常の旅客列車に併結し荷物輸送を担ってきていました。しかし、より多くの人が電車を利用するようになるようにつれ、積み下ろしに時間のかかる荷物車併結の列車は遅延の原因となり、敬遠されるようになりました。そこで大正14年に荷物電車と旅客電車の分離を実施。この時準備された形式がデニ6450でした。 デニ6450は、大正15年から昭和2年にかけて余剰となっていたデハユニ6450、デハニ23850、デハ6430(デロハ6130格下げ改造車含む)を種車に改造されて登場した荷物専用電車です。 中央線、山手線、京浜線などの電車運転区間で荷物電車として活躍。昭和3年の改称ではモニ3とされました。その後、モニ13に置き換えられる形で廃車されました。しかし、一部は横須賀線の波動荷物輸送用に電装解除の上でサニ27として活躍しました。 キットには台車(DT10)、パンタグラフ(PS11 or 14)、連結器は含まれておりません。別途お買い求めください。
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デユニ33850/モユニ2 【デハ6340/モハ1系列】 2-077
¥2,500
デユニ33850は大正15年に登場した郵便荷物電車です。昭和3年の改称あとはモユニ2として活躍しました。主に中央、山手、京浜、総武、横須賀線といった東京近郊電車区間で運用されたようです。 また、キットには台車(DT10)、パンタグラフ(PS11 or 14)、連結器は含まれておりません。別途お買い求めください。 道路の整備が進んでおらず、トラックなどの自動車が普及していなかった時代、鉄道は郵便物や小口荷物の輸送も担っていました。電車の黎明期は、合造郵便荷物車を通常の旅客列車に併結し荷物輸送を担ってきていました。しかし、より多くの人が電車を利用するようになるようにつれ、積み下ろしに時間のかかる荷物車併結の列車は遅延の原因となり、敬遠されるようになりました。そこで大正14年に郵便/荷物電車と旅客電車の分離を実施。この時準備された形式がデユニ33850でした。 デユニ33850は、大正15年から昭和2年にかけて余剰となっていたデハユニ6450、デハニ6450を種車に改造されて登場した荷物専用電車です。京浜線などの電車運転区間で郵便荷物電車として活躍。昭和3年の改称ではモユニ2とされました。その後、モユニ12に置き換えられる形で廃車されました。しかし、一部は横須賀線の波動荷物輸送用に電装解除の上でサニ27とともに活躍したようです。 キットには台車(DT10)、パンタグラフ(PS11 or 14)、連結器は含まれておりません。別途お買い求めください。
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デハニ6450 2-076
¥2,500
デハニ6450は、大正14年にデハユニ6450及びデロハ6130の一部を三等荷物車に改造して登場した形式です。まもなく荷物電車の旅客電車からの分離が行われ、活躍した時期は短かったようです。 本キットは、そのようなデハニ6450を再現したキットです。デハニ6450には、デハユニ6450を改造種車としたもの、デロハ6130を改造種車にしたものとで形態差があり、本キットではどちらのデハニ6450を作り分けています。また、キットには台車(TDT10)、パンタグラフ(PS11 or 14)、連結器は含まれておりません。別途お買い求めください。
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デハ6340系列(3扉仕様)【デハ6340/モハ1系列】 2-075
¥2,500
大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。京浜線の開通と同時に登場したのがデハ6340系列で、当時の日本で最高水準の性能を持つ電車として登場しました。しかし、後継車の登場により、扉増設改造の上、三等格下げを受け京浜線以外の中央/山手線でも運用されるようになりました。昭和3年にはデハ33500とともにモハ1に編入(サハ6190はサハ25)に編入されました。本系列は第wカウ構造から鋼製化改造の対象外とされ、電動車は昭和8年までの国鉄線上から除籍。三信鉄道(現 : 飯田線)や南武鉄道、博多港湾汽船(現 : 西日本鉄道)や駿豆鉄道に譲渡され活躍しました。付随車は戦後の1952年まで国鉄線上で活躍したようです。
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東京最後のモハ1セット【デハ23500,33500/モハ1系列】1-016
¥9,500
中央線最後のモハ1の編成と思われる、 モハ1043/1048/1052(旧デハ33500)、サハ19056(旧サハ6410)の4両セットです。 キット内容は屋根、車体、台枠、床下機器です。台車(DT10/TR11)、動力ユニット(TM07-R)、パンタグラフ(PS11)、連結器は別途ご用意ください。
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ワ50000/ワフ20000 2-074
¥2,000
本キットは電車改造貨車のワ50000/ワフ20000のキットです。台車と床下機器、表記インレタ及びベンチレーターは別売となります。3扉と4扉の二つのタイプを模型化しています。 1926年に特別小口扱い貨物として誕生、32年に宅扱と改称された鉄道省提供の貨物輸送サービスは、現在の宅急便の先駆けともいえるものでした。当時、貨物を輸送するには基本的に大口輸送か小口輸送かの二択でした。大口輸送は貨車を自前で準備するシステムでシンプル。しかし小口貨物は極めて複雑な輸送体系と運賃体系であり、不便を極めていました。そこで宅扱が登場です。運賃を単一等級制とし計算を簡易化。さらに集荷/配達を含めた戸口から戸口まで輸送するというまさに宅急便の精神そのもののサービスでした。そしてそれに合わせ宅扱専用の専用の急行貨物列車、”急行宅扱貨物列車”が設定されるように。これは高速性と定時性を主眼に仕立てられた急行貨物列車であり、まさに戦前のスーパーレールカーゴといえる列車でした。 さて、そんな花形高速貨物列車にはワキ1という専用貨車が割り当てられました。しかし、次第に需要の急増にワキ1の増備ではこたえられなるように。そこで高速走行が可能な電車を改造して貨車にする案が浮上。こうして誕生したのがワ50000/ワフ20000です。ワ50000/ワフ20000は、塗装こそワキ1と揃えられていたものの、種車が16m級木造電車であったため、ダブルルーフ、木造車体、トラス棒装備のスタイルでした。これらは当時最新の貨車であったシングルルーフ、鋼製車体の13m級ワキ1の専用貨物列車編成の中に混結されて運用されました。見た目にはとても面白い編成であったろうと思われます。ちなみに、牽引機は電化区間ではEF51、非電化区間ではC51が担当。急行旅客列車並みの最高速度で運転されました。 しかし戦争の激化に伴い宅扱いは廃止に。ワ50000/ワフ20000も通常の有蓋車として運用されるようになりました。戦後、急行便などが登城するもワ50000/ワフ20000はその用途には供されず、一般用途に供されました。しかしこれも新型の貨車に押される形で廃車。一部が救援車ナエ7200に改造されるも1953年までに消滅しました。
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サロ33200/サロ17【デハ23400系列】 2-073
¥2,000
デハ23500系列は大正8(1919)年度から大正9(1920)年度にかけて製造されました。本系列は、中央、山手線の標準形式だったデハ6310の後継として作られました。デハ6340系列に中央扉を増設したようなスタイルで、普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。初の国産主電動機搭載電車としても有名です。また、第一線を退いたのちも荷物車(モニ3)や付随車(クハ15、サハ25、サロ17)、事業用車(モヤ4)に改造され、活躍しました。戦後には西武鉄道などの私鉄に譲渡され活躍の場を広げています。 本セットには、二等付随車のサロ33200のキットが含まれます。実車は京浜線に主に投入されました。後継の二等車が登場した後は、昭和4年に3扉化改造の上サハ25に格下げされました。格下げ後は鋼製車に挟まれるなどして昭和30年代ごろまで活躍したようです。 台車、動力ユニット、ヘッド・テールランプ、パイピング用パイプは別売となります。
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サハ33700/サハ25【デハ23400系列】 2-072
¥2,000
デハ23400系列は大正8(1919)年度から大正9(1920)年度にかけて製造されました。本系列は、中央、山手線の標準形式だったデハ6310の後継として作られました。デハ6340系列に中央扉を増設したようなスタイルで、普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。初の国産主電動機搭載電車としても有名です。また、第一線を退いたのちも荷物車(モニ3)や付随車(クハ15、サハ25、サロ17)、事業用車(モヤ4)に改造され、活躍しました。戦後には西武鉄道などの私鉄に譲渡され活躍の場を広げています。 本セットには、三等付随車サハ33700のキットが含まれます。実車は中央、山手、京浜線全線に投入されました。サハ25となったのち、一部は鋼体化されましたがそれ以外は昭和20年ごろまで鋼製車に挟まれて活躍しました。 台車、動力ユニット、ヘッド・テールランプ、パイピング用パイプは別売となります。
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デハ23400, デハニ23850, クハ23600/クハ15 【デハ23400系列】 2-071
¥2,500
デハ23400系列は大正8(1919)年度から大正9(1920)年度にかけて製造されました。本系列は、中央、山手線の標準形式だったデハ6310の後継として作られました。デハ6340系列に中央扉を増設したようなスタイルで、普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。初の国産主電動機搭載電車としても有名です。また、第一線を退いたのちも荷物車(モニ3)や付随車(クハ15、サハ25、サロ17)、事業用車(モヤ4)に改造され、活躍しました。戦後には西武鉄道などの私鉄に譲渡され活躍の場を広げています。 本セットには、基幹系列となるデハ23400のキットが含まれます。また、クハ23600、デハ33400もデハ23400と同様の車体を持つので本キットから制作可能です。実車は50PS出力の主電動機車の使用停止に伴い、デハ23400は全てクハ23600に改造され、クハ15となり、昭和10年代に鋼体化されました。デハ23450は全てクハ23600に改造され、クハ15となりました。クハ15は昭和10年代に鋼体化されました。デハニ23850はデニ6450に改造編入され、荷物車として活躍しました。 台車、動力ユニット、ヘッド・テールランプ、パイピング用パイプは別売となります。
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サロ33250/サロ17 【デハ23500,33500/モハ1系列】 2-070
¥2,000
本キットからは、サロ33250/サロ17を製作することができます。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。付随車は鋼体化され長く活躍しました。戦後も生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、二等付随車のサロ33250のキットが含まれます。実車は前系列のサロ33200によって需要が賄えてしまったため、1形式1両しか登場しなかった珍車でした。 台車は別売となります。 また、レールや背景ジオラマは付属しません。
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サハ33750/サハ25 【デハ23500,33500/モハ1系列】 2-069
¥2,000
本キットから、サハ33750/サハ25が制作できます。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。国鉄線上からは昭和10~20年代に消えましたが、生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、三等付随車サハ33750のキットが含まれます。サハ33750は登場時から両線に大量に投入され、運用されていました。鋼体車が主流となった後にも鋼製電動車に挟まれて長く活躍していたようです。 台車は別売となります。 また、レールや背景ジオラマは付属しません。
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デハ33500,23500/モハ1 , クハ23500/クハ15 【デハ23500,33500/モハ1系列】 2-068
¥2,500
本キットからは、デハ23500/33500(のちのモハ1)が制作できます。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。国鉄線上からは昭和10~20年代に消えましたが、生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、基幹系列となる三等電動車デハ33500/23500のキットが含まれます。また、デハ23500もデハ33500と同様の車体を持ちますが、床下機器に差異があります。登場時はデハ33500は京浜線、デハ23500は中央、山手線で分けて運用されていましたが、デハ23500が消えた後はデハ33500が両線で運用されていました。 台車、パンタグラフ、動力ユニット、ヘッド・テールライト、は別売となります。 また、レールや背景ジオラマは付属しません。
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阪急90形6両セット 1-012
¥14,000
阪急90,91,92,93,94,95を再現できるキットです。 昭和元年、鉄道省から阪急に、デハ6250、デハ6285が3両ずつ譲渡されました。本セットではそれらすべての車両が含まれます。 キットには車体、屋根、台枠、床下機器が含まれます。パンタグラフおよびトロリポール、、台車、連結器は各自ご準備ください。 適合台車は、91,92はGMブリル台車、他はDT10です。
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デハ6285 2両セット 2-060
¥5,000
デハ6285の2両セットです。 本キットから、デハ6285の2両製作することが可能です。ただし、台車と動力、パンタグラフは別売です。 デハ6250 は甲武鉄道から引き継いだ2 軸電車の後継として明治42 年に国有鉄道としては初めてのボギー電車として登場しました。当初はナデ6110、大正3年の称号改正でデハ6285 と呼ばれました。大正9 年、前後の戸の引戸化、片側3 扉化改造がなされました。本キットは3扉となった後の姿を再現しています。主に山手線と中央線で運行されました。大正13 年に使用停止されると一部は目黒蒲田電鉄を通じ阪神急行電鉄に譲渡され90 形として活躍しました。阪急入線時、前面が非貫通スタイルに改造されました。本キットには非貫通スタイルになった後を再現するパーツも付属します。
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大正末期の帝都省電セット 1-011
¥21,500
大正13年から昭和初期(一部は戦後)までの京浜線、山手線、中央線の電車を再現しました。ペーパーキットです。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 沿線の発展とともに順調に発達してきた京浜線に転機が音連れます。関東大震災です。この復興輸送を支えるべく登場したのがデハ63100系列です。そのため普通車(3等車)はデッキを廃した3扉と全室ロングシート、つり革網棚という現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を以外にも山手線、中央線など東京の省電区間全域で活躍しました。また、前系列のデハ43200系列からも改造編入がなされたこともありバラエティ豊かでした。戦後にも活躍をつづけ、木造省電の代表格ともいえるでしょう。 本セットには、デハ63100系列の基幹系列となるデハ63100、三等中間付随車であるサハ33550が4両ずつ、ボックスシートの好評によってよく使われた二等付随車サロ43100が1両分のキットが含まれます。これらを組み合わせることで、大正12(1921)年以降の京浜線、山手線、中央線電車を再現できます。
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幻の東海道電車特急セット 1-010
¥11,500
本セットには、大正末期に登場した木造電車のデハ43200系列のうち基幹系列となる三等電動車デハ43200、及び三等付随車サハ43550が2両ずつと、二等付随車サロ43100、三等郵便荷物合造電動車デハユニ43850のキットが含まれます。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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京浜線開業セット 1-009
¥9,000
本セットには、大正初期に登場した木造電車のデハ6340系列のうち、基幹系列となるデハ6340、二等三等合造制御電動車のデロハ6130、中間付随車であるサロハ6190、日本初の郵便設備を持つ電車である郵便荷物三等合造制御電動車であるデハユニ6450のキットが含まれます。これらを組み合わせることで、開通時の大正3(1914)年から関東大震災前後の大正14(1925)年の京浜線電車を再現できます。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタ、ランプ類は各自ご準備願います。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 京浜線の開通と同時に登場したのがデハ6340系列です。画期的な路線開業と、帝都東京のランドマークとなる駅の開業に合わせて用意された電車が凡庸なものになるはずもなく、中央、山手線で用いられていた車両と車体長、車体幅、集電装置、主電動機出力、全ての面において一線を画す性能の当時の日本で最高水準の性能を持つ電車として登場したのがデハ6340系列でした。この系列で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立した名車といえるでしょう。
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大正初期山手線4両セット 【デハ6310系列】 1-008
¥9,000
デハ6310*2、デハ6250、デハ6300の4両セットです。 本キットから、デハ6310、デハ6380、クハ6410、クハ6430(のちのサハ6,19)のどれか2両に加え、デハ6250、デハ6300を製作することが可能です。ただし、台車と動力、パンタグラフは別売です。 デハ6310系列は、大正3年度(1914)に登場しました。当時、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。しかし、当時運行されていた電車は甲武鉄道から承継した2軸電車と、多彩なボギー電車でした。そこで、中央、山手線の電車を共通化すべく、日本の国有鉄道として初めて標準型電車として登場したのが本系列です。平妻非貫通の3枚窓の顔、片側3扉の引戸、3扉デッキなし全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。この電車で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立したともいえるでしょう。また、一部車両は私鉄に譲渡され、さらに電装解除の上サハ6、サハ19として戦後まで生き残るなど、幅広い活躍をしました。
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サハ33550/サハ26 【デハ63100/モハ10系列】 2-055
¥2,000
本セットには、付随車となるサハ33550のキットが含まれます。サハ33550にも出自によりバリエーションがあります。 また、台車、パンタグラフ、線路、その他アップグレードパーツは含まれていません。 デハ63100系列は大正12(1923)年から大正14(1925)年にかけて製造されました。本系列は、乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が分離されていました。3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルを持ち、関東大震災後の復興輸送を支えました。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を中心に山手線、中央線など東京の省電区間で活躍しました。一部のサハ26は先頭車化改造が行われたほか、 鋼製電車が主流となってくるとモハ10の一部がモユニ12やモニ13に改造され、戦後も長く活躍しました。一部は東急などの私鉄にも移り、活躍の場を広げています。その他の旅客用として残された車両は鋼体化改造を受け、50系電車となり戦後も長くクモハ11の一部などとして鶴見線、南部支線などで活躍しました。
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デハ63100/モハ10 【デハ63100/モハ10系列】 2-054
¥2,500
本セットには、基幹系列となるデハ63100/モハ10のキットが含まれます。またデハ63100は出自や製造年によりかなり外見のバリエーションがあります。本キットには当初からデハ63100として製造されたグループのうち初年度に製造された扉の狭いタイプが含まれます。 デハ63100系列は大正12(1923)年から大正14(1925)年にかけて製造されました。本系列は、乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が分離されていました。3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルを持ち、関東大震災後の復興輸送を支えました。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を中心に山手線、中央線など東京の省電区間で活躍しました。一部のサハ26は先頭車化改造が行われたほか、 鋼製電車が主流となってくるとモハ10の一部がモユニ12やモニ13に改造され、戦後も長く活躍しました。一部は東急などの私鉄にも移り、活躍の場を広げています。その他の旅客用として残された車両は鋼体化改造を受け、50系電車となり戦後も長くクモハ11の一部などとして鶴見線、南部支線などで活躍しました。 また、台車、パンタグラフ、線路、その他アップグレードパーツは含まれていません。
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サハ43550,サロ43100/サロ18 【デハ43200/モハ10系列】2-053
¥2,500
キットには車体、屋根、床板、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、ベンチレーター(T型)、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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デハ43200,デハユニ43850 【デハ43200/モハ10系列】 2-052
¥2,500
キットには車体、屋根、床板、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、ベンチレーター(T型)、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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