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スハ32 地方普通列車セット
¥16,500
本キットからは、Wルーフのスハ32(スハ32600)が登場した昭和初期の普通列車のうち、福島~仙台や福知山~米子など、地方の普通列車をイメージした編成を作ることができます。また、名古屋周辺などの都市内短距離列車にも最適です。さらにスハ32やナハ22000といった三等車を増結する、スニ30やオニ26600といった荷物車を追加することでより実感的な編成が再現できます。 本キットには、スニ30(狭窓or広窓ランダム)*1、スロハ30*1、スハ32*2、スハフ32*1が含まれます。車体、屋根、床板、台枠表現、TR13/23台車、ベンチレーター、等級帯デカール、蓄電池箱、幌パーツがセットに含まれています。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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スハ32 近郊普通列車セット
¥16,500
本キットからは、Wルーフのスハ32(スハ32600)が登場した昭和初期の普通列車のうち、東京~熱海や大阪~神戸など、短距離の普通列車をイメージした編成を作ることができます。さらにスハ32やナハ22000といった三等車を増結する、スニ30やオニ26600といった荷物車を追加することでより実感的な編成が再現できます。 本キットには、スニ30(狭窓or広窓ランダム)*1、スロ33*1、スハ32*2、スハフ32*1が含まれます。車体、屋根、床板、台枠表現、TR13/23台車、ベンチレーター、等級帯デカール、蓄電池箱、幌パーツがセットに含まれています。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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スハ32 幹線普通列車セット
¥16,500
本キットからは、Wルーフのスハ32(スハ32600)が登場した昭和初期の普通列車のうち、東京~神戸や上野~青森など、長距離の普通列車をイメージした編成を作ることができます。さらにスハ32やナハ22000といった三等車を増結する、スニ30やオニ26600といった荷物車を追加することでより実感的な編成が再現できます。 本キットには、スニ30(狭窓or広窓ランダム)*1、スロ32*1、スハ32*2、スハフ32*1が含まれます。車体、屋根、床板、台枠表現、TR13/23台車、ベンチレーター、等級帯デカール、蓄電池箱、幌パーツがセットに含まれています。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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急行17・18列車(名士列車)~昭和初期の姿~
¥36,300
急行17・18列車は、東京~神戸を結んでいた急行列車です。起源は明治39年に設定された新橋~神戸を夜行で結ぶ1/2等急行3・4列車とされますが、設定当初から名門列車と位置付けられていました。17・18列車も政財界の要人など、多くの知名の士が利用し、「名士列車」と呼ばれていました。 本セットでは、昭和初期の鋼製客車が活躍していた時代の急行17・18列車を再現できます。本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR13/23/71/73台車、ベンチレーター、等級帯デカール、蓄電池箱、幌パーツが含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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特急「富士」列車~昭和初期の姿~
¥36,300
特別急行「富士」は明治45年に新橋~下関間に運転を開始しました。それ以来、1・2列車は豪華な設備を備え、客層も富裕層や貴族、要人に限られていました。 本セットでは、昭和初期の鋼製客車が活躍していた時代の特急「富士」列車を再現できます。本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR13/23/71/73台車、ベンチレーター、等級帯デカール、蓄電池箱、幌パーツが含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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ナハ22000夜行急行列車セット−増結セット
¥16,500
本キットには大型木製2AB客車の郵便車オユ26000*1、二等寝台車ナロネ20100*1、三等座席車ナハ22000*3が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の夜行急行列車列車の増結編成をイメージしたセットです。夜行急行基本セット(1-022)とつなげてフル編成にするほか、普通列車セット(1-004,1-005)とつなげて長距離の夜行普通列車に仕立てることもできます。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。 鉄道省(後の国鉄、JR)の客車は、昭和2年に初の鋼製車オハ32000(→オハ31形)が登場するまでは木製でした。大正9年、従来の客車を大型化した客車としてホハ24400(→ナハ22000)が登場。これは昭和3年に二等車や食堂車などと合わせて20000番代の形式にまとめられ"大型木製客車"と呼ばれるようになりました。多くは17m級車体に2軸ボギー台車を備えていましたが、一部特急用では、20m級車体に3軸ボギー台車を備えた車両もいました。製造両数は代表形式のナハ22000だけでも、客車1形式としては最多の1687両、全体としては約3900両に及ぶ大量増備が行われ、主力形式となりました。昭和3年以降、鋼製客車の増備に伴い優等列車での使用は減少。荷物車や三等車、通勤型、合造車などに改造され優等車の多くは戦前のうちに原形を失いました。その一方、普通列車では三等車、荷物車として主力として活躍。戦後も、ローカル線だけでなく、幹線の普通列車でも使用されるなど健在でした。しかし、老朽化のため、昭和24年以降鋼体化客車に改造。昭和31年(1956年)までに消滅しました。
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ナハ22000夜行急行列車セット−基本セット
¥16,500
本キットには大型木製2AB客車の荷物車オニ26600*1、二等寝台者ナロネ20100*1、二等座席車ナロ20850*1、食堂車ナシ20350*1、三等緩急車ナハフ24000*1が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の普通列車の増結編成をイメージしたセットです。夜行急行増結セット(1-023)とつなげてフル編成にするほか、普通列車増結セット(1-006)とつなげて長距離の夜行普通列車に仕立てることもできます。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。 鉄道省(後の国鉄、JR)の客車は、昭和2年に初の鋼製車オハ32000(→オハ31形)が登場するまでは木製でした。大正9年、従来の客車を大型化した客車としてホハ24400(→ナハ22000)が登場。これは昭和3年に二等車や食堂車などと合わせて20000番代の形式にまとめられ"大型木製客車"と呼ばれるようになりました。多くは17m級車体に2軸ボギー台車を備えていましたが、一部特急用では、20m級車体に3軸ボギー台車を備えた車両もいました。製造両数は代表形式のナハ22000だけでも、客車1形式としては最多の1687両、全体としては約3900両に及ぶ大量増備が行われ、主力形式となりました。昭和3年以降、鋼製客車の増備に伴い優等列車での使用は減少。荷物車や三等車、通勤型、合造車などに改造され優等車の多くは戦前のうちに原形を失いました。その一方、普通列車では三等車、荷物車として主力として活躍。戦後も、ローカル線だけでなく、幹線の普通列車でも使用されるなど健在でした。しかし、老朽化のため、昭和24年以降鋼体化客車に改造。昭和31年(1956年)までに消滅しました。
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オハ31 荷物列車セット
¥16,500
本キットには17m級鋼製客車オハ31系列の客車のうち、郵便車スユ30、郵便荷物車スユニ30、荷物車スニ30×3が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の荷物列車をイメージしたセットです。スニ30は狭窓タイプと広窓タイプの車がランダムに含まれます。 オプションから、スユニ30をスユ30またはスニ30に変更することが可能です。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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オハ31 普通列車増結セット
¥16,500
本キットには17m級鋼製客車オハ31系列の客車のうち、三等車オハ31×3、三等緩急車オハフ30×2が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の普通列車の増結編成をイメージしたセットです。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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オハ31 地方普通列車セット
¥16,500
本キットには17m級鋼製客車オハ31系列の客車のうち、郵便荷物車スユニ30、二三等車オロハ30、三等車オハ31×2、三等緩急車オハフ30が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の地方線区の普通列車をイメージしたセットです。なお、スユニ30は両開き扉車です。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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オハ31 幹線普通列車セット
¥16,500
本キットには17m級鋼製客車オハ31系列の客車のうち、荷物車スニ30、二等車オロ31、三等車オハ31×2、三等緩急車オハフ30が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の幹線の普通列車をイメージしたセットです。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。
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東京最後のモハ1セット【デハ23500,33500/モハ1系列】
¥12,000
中央線最後のモハ1の編成と思われる、 モハ1043/1048/1052(旧デハ33500)、サハ19056(旧サハ6410)の4両セットです。 キット内容は屋根、車体、台枠、床下機器です。動力ユニット(TM07-R)、パンタグラフ(PS11)、連結器は別途ご用意ください。
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宅扱い貨物列車セット
¥33,000
本キットは宅扱い貨物列車の編成のセットです。キットには、ワムフ1、ワキ1(1~50タイプ)、ワキ1(51~140タイプ)、ワキ1(141~290タイプ)が各々2両ずつ、ワ50000/ワフ50000の3扉と4扉タイプが1両ずつの計12両が含まれます。ワ50000/ワフ20000向けのTR11台車、連結器、車輪が別売パーツです。(ワキ1/ワムフ1向けのTR24はセットに含まれます) セット内に含まれる車種同士(ワ50000→ワキ1(141~290タイプ)、ワキ1(141~290タイプ)→ワキ1(51~140タイプ)、など)でしたら、オプションから車種変更が可能です。両数は変更できません。 1926年に特別小口扱い貨物として誕生、32年に宅扱と改称された鉄道省提供の貨物輸送サービスは、現在の宅急便の先駆けともいえるものでした。当時、貨物を輸送するには基本的に大口輸送か小口輸送かの二択でした。大口輸送は貨車を自前で準備するシステムでシンプル。しかし小口貨物は極めて複雑な輸送体系と運賃体系であり、不便を極めていました。そこで宅扱が登場です。運賃を単一等級制とし計算を簡易化。さらに集荷/配達を含めた戸口から戸口まで輸送するというまさに宅急便の精神そのもののサービスでした。そしてそれに合わせ宅扱専用の専用の急行貨物列車、”急行宅扱貨物列車”が設定されるように。これは高速性と定時性を主眼に仕立てられた急行貨物列車であり、まさに戦前のスーパーレールカーゴといえる列車でした。 さて、そんな花形高速貨物列車にはワキ1という専用貨車が割り当てられました。しかし、次第に需要の急増にワキ1の増備ではこたえられなるように。そこで高速走行が可能な電車を改造して貨車にする案が浮上。こうして誕生したのがワ50000/ワフ20000です。ワ50000/ワフ20000は、塗装こそワキ1と揃えられていたものの、種車が16m級木造電車であったため、ダブルルーフ、木造車体、トラス棒装備のスタイルでした。これらは当時最新の貨車であったシングルルーフ、鋼製車体の13m級ワキ1の専用貨物列車編成の中に混結されて運用されました。見た目にはとても面白い編成であったろうと思われます。ちなみに、牽引機は電化区間ではEF51、非電化区間ではC51が担当。急行旅客列車並みの最高速度で運転されました。
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病院客車セットB
¥7,500
本キットには鋼製客車のスヘ30が1両、スヘフ30が1両の合計2両が含まれます。お好みの時代、場所に合わせて活躍させてください。専用列車のほか、普通列車や急行列車に増結されて運用されていたようです。編成例として、通常の普通列車に、3両のスヘ28400と1両のスヘ30の計4両が増結されて運用された例などがあるようです。 病客車とは、患者輸送用の客車です。明治時代、病人輸送は上等車の貸切や手荷物輸送扱いで対応されてきました。日露戦争に際して傷病兵の輸送も担うように。大正時代に入ると病人を担架に乗せたまま扱える専用客車が登場し、ハンセン病患者の輸送にも用いられるようになりました。その後日中戦争が勃発すると傷病兵輸送用に大量増備され、主に日本各地の軍港や軍病院周辺から発車する列車に併結もしくは専用編成が組まれ運用されました。日本の傷病兵輸送は太平洋戦争の終結と引揚者の輸送の終結により終了しましたが、GHQの接収を受け、連合軍専用車として運用された例もあったようです。朝鮮戦争が開戦するとGHQの要求により運用が再開。負傷した国連軍兵士を各地方の病院へ向け輸送したようです。朝鮮戦争終結後には一部が一般の座席車に復旧しました。 キットには車体、屋根、床板と台枠、帯デカールが含まれます。TR23台車、連結器、ベンチレーター(T型)、床下機器は各事ご準備ください。
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病院客車セットA
¥7,500
本キットには昭和12年に登場した大型木製3AB客車の病客車のスヘ28450が1両、大型木製2AB客車の病客車のナロヘフ21280が1両の合計2両が含まれます。お好みの時代、場所に合わせて活躍させてください。専用列車のほか、普通列車や急行列車に増結されて運用されていたようです。編成例として、通常の普通列車に、3両のスヘ28400と1両のスヘ30の計4両が増結されて運用された例などがあるようです。 病客車とは、患者輸送用の客車です。明治時代、病人輸送は上等車の貸切や手荷物輸送扱いで対応されてきました。日露戦争に際して傷病兵の輸送も担うように。大正時代に入ると病人を担架に乗せたまま扱える専用客車が登場し、ハンセン病患者の輸送にも用いられるようになりました。その後日中戦争が勃発すると傷病兵輸送用に大量増備され、主に日本各地の軍港や軍病院周辺から発車する列車に併結もしくは専用編成が組まれ運用されました。日本の傷病兵輸送は太平洋戦争の終結と引揚者の輸送の終結により終了しましたが、GHQの接収を受け、連合軍専用車として運用された例もあったようです。朝鮮戦争が開戦するとGHQの要求により運用が再開。負傷した国連軍兵士を各地方の病院へ向け輸送したようです。朝鮮戦争終結後には一部が一般の座席車に復旧しました。 キットには車体、屋根、床板と台枠、トラス棒、TR71台車、帯デカールが含まれます。TR11,23台車、連結器、ベンチレーター(T型)、床下機器は各事ご準備ください。
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阪急90形_4両セット
¥15,400
阪急90,91,92,93,94,95を再現できるキットです。 昭和元年、鉄道省から阪急に、デハ6250、デハ6285が3両ずつ譲渡されました。本セットではそれらすべての車両が含まれます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治43-45年式になります。91,92を制作する場合、GMブリル台車を別途ご準備ください。
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大正末期の帝都省電セット
¥26,000
大正13年から昭和初期(一部は戦後)までの京浜線、山手線、中央線の電車を再現しました。ペーパーキットです。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 沿線の発展とともに順調に発達してきた京浜線に転機が音連れます。関東大震災です。この復興輸送を支えるべく登場したのがデハ63100系列です。そのため普通車(3等車)はデッキを廃した3扉と全室ロングシート、つり革網棚という現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を以外にも山手線、中央線など東京の省電区間全域で活躍しました。また、前系列のデハ43200系列からも改造編入がなされたこともありバラエティ豊かでした。戦後にも活躍をつづけ、木造省電の代表格ともいえるでしょう。 本セットには、デハ63100系列の基幹系列となるデハ63100、三等中間付随車であるサハ33550が4両ずつ、ボックスシートの好評によってよく使われた二等付随車サロ43100が1両分のキットが含まれます。これらを組み合わせることで、大正12(1921)年以降の京浜線、山手線、中央線電車を再現できます。
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幻の東海道電車特急セット
¥18,000
本セットには、大正末期に登場した木造電車のデハ43200系列のうち基幹系列となる三等電動車デハ43200、及び三等付随車サハ43550が2両ずつと、二等付随車サロ43100、三等郵便荷物合造電動車デハユニ43850のキットが含まれます。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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京浜線開業セット
¥14,000
本セットには、大正初期に登場した木造電車のデハ6340系列のうち、基幹系列となるデハ6340、二等三等合造制御電動車のデロハ6130、中間付随車であるサロハ6190、日本初の郵便設備を持つ電車である郵便荷物三等合造制御電動車であるデハユニ6450のキットが含まれます。これらを組み合わせることで、開通時の大正3(1914)年から関東大震災前後の大正14(1925)年の京浜線電車を再現できます。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタ、ランプ類は各自ご準備願います。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 京浜線の開通と同時に登場したのがデハ6340系列です。画期的な路線開業と、帝都東京のランドマークとなる駅の開業に合わせて用意された電車が凡庸なものになるはずもなく、中央、山手線で用いられていた車両と車体長、車体幅、集電装置、主電動機出力、全ての面において一線を画す性能の当時の日本で最高水準の性能を持つ電車として登場したのがデハ6340系列でした。この系列で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立した名車といえるでしょう。
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大正初期山手線4両セット 【デハ6310系列】
¥14,000
デハ6310*2、デハ6285、デハ6300の4両セットです。 本キットから、デハ6310、クハ6410、サハ6430(のちのサハ6,19)のどれか2両に加え、デハ6285、デハ6300を製作することが可能です。ただし、台車と動力、パンタグラフは別売です。 デハ6310系列は、大正3年度(1914)に登場しました。当時、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。しかし、当時運行されていた電車は甲武鉄道から承継した2軸電車と、多彩なボギー電車でした。そこで、中央、山手線の電車を共通化すべく、日本の国有鉄道として初めて標準型電車として登場したのが本系列です。平妻非貫通の3枚窓の顔、片側3扉の引戸、3扉デッキなし全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。この電車で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立したともいえるでしょう。また、一部車両は私鉄に譲渡され、さらに電装解除の上サハ6、サハ19として戦後まで生き残るなど、幅広い活躍をしました。
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ナハ22000普通列車セット-増結セット
¥16,500
本キットには大型木製2AB客車の三等車ナハ22000*3、三等緩急車ナハフ24000*2が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の普通列車の増結編成をイメージしたセットです。幹線普通列車セット(1-004)、地方普通列車セット(1-005)につなげて遊ぶほか、単体でも支線区の普通列車としても仕立てられます。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。 鉄道省(後の国鉄、JR)の客車は、昭和2年に初の鋼製車オハ32000(→オハ31形)が登場するまでは木製でした。大正9年、従来の客車を大型化した客車としてホハ24400(→ナハ22000)が登場。これは昭和3年に二等車や食堂車などと合わせて20000番代の形式にまとめられ"大型木製客車"と呼ばれるようになりました。多くは17m級車体に2軸ボギー台車を備えていましたが、一部特急用では、20m級車体に3軸ボギー台車を備えた車両もいました。製造両数は代表形式のナハ22000だけでも、客車1形式としては最多の1687両、全体としては約3900両に及ぶ大量増備が行われ、主力形式となりました。昭和3年以降、鋼製客車の増備に伴い優等列車での使用は減少。荷物車や三等車、通勤型、合造車などに改造され優等車の多くは戦前のうちに原形を失いました。その一方、普通列車では三等車、荷物車として主力として活躍。戦後も、ローカル線だけでなく、幹線の普通列車でも使用されるなど健在でした。しかし、老朽化のため、昭和24年以降鋼体化客車に改造。昭和31年(1956年)までに消滅しました。
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ナハ22000地方普通列車セット
¥16,500
本キットには大型木製2AB客車の郵便荷物車オユニ26250*1、二/三等合造車ナロハ21300、三等車ナハ22000*2、三等緩急車ナハフ24000が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の地方線区の普通列車をイメージしたセットです。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。 鉄道省(後の国鉄、JR)の客車は、昭和2年に初の鋼製車オハ32000(→オハ31形)が登場するまでは木製でした。大正9年、従来の客車を大型化した客車としてホハ24400(→ナハ22000)が登場。これは昭和3年に二等車や食堂車などと合わせて20000番代の形式にまとめられ"大型木製客車"と呼ばれるようになりました。多くは17m級車体に2軸ボギー台車を備えていましたが、一部特急用では、20m級車体に3軸ボギー台車を備えた車両もいました。製造両数は代表形式のナハ22000だけでも、客車1形式としては最多の1687両、全体としては約3900両に及ぶ大量増備が行われ、主力形式となりました。昭和3年以降、鋼製客車の増備に伴い優等列車での使用は減少。荷物車や三等車、通勤型、合造車などに改造され優等車の多くは戦前のうちに原形を失いました。その一方、普通列車では三等車、荷物車として主力として活躍。戦後も、ローカル線だけでなく、幹線の普通列車でも使用されるなど健在でした。しかし、老朽化のため、昭和24年以降鋼体化客車に改造。昭和31年(1956年)までに消滅しました。
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ナハ22000幹線普通列車
¥16,500
本キットには大型木製2AB客車の荷物車オニ26600*1、二造車ナロ20600又は20850、三等車ナハ22000*2、三等緩急車ナハフ24000が含まれます。本セットは、大正中期~昭和初期の幹線の普通列車をイメージしたセットです。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR11/13台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツ、等級帯デカール、が含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。 鉄道省(後の国鉄、JR)の客車は、昭和2年に初の鋼製車オハ32000(→オハ31形)が登場するまでは木製でした。大正9年、従来の客車を大型化した客車としてホハ24400(→ナハ22000)が登場。これは昭和3年に二等車や食堂車などと合わせて20000番代の形式にまとめられ"大型木製客車"と呼ばれるようになりました。多くは17m級車体に2軸ボギー台車を備えていましたが、一部特急用では、20m級車体に3軸ボギー台車を備えた車両もいました。製造両数は代表形式のナハ22000だけでも、客車1形式としては最多の1687両、全体としては約3900両に及ぶ大量増備が行われ、主力形式となりました。昭和3年以降、鋼製客車の増備に伴い優等列車での使用は減少。荷物車や三等車、通勤型、合造車などに改造され優等車の多くは戦前のうちに原形を失いました。その一方、普通列車では三等車、荷物車として主力として活躍。戦後も、ローカル線だけでなく、幹線の普通列車でも使用されるなど健在でした。しかし、老朽化のため、昭和24年以降鋼体化客車に改造。昭和31年(1956年)までに消滅しました。
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おちぶれ荷物列車~1・2列車のなれの果て~
¥22,100
本セットには、大型3AB荷物車のマニ29500のうち、展望車オイテ27000、一等寝台車スイネ27150、二等寝台車スイネ27300(大正10年製造グループ、及び大正12年以降製造グループ)、食堂車スシ27700、二等車スロ27900から改造されたグループが1両ずつ、計6両含まれます。 本キットには、車体、屋根、床板、台枠表現、TR71台車、ベンチレーター、蓄電池箱、幌パーツが含まれます。車輪と連結器、白文字表記類は別途ご準備ください。(白文字表記とは荷物車の"荷物"表記、車掌室の"車掌"標記、車番などをさします) 特別急行1・2列車は明治45年に新橋~下関間に運転を開始した。それ以来、1・2列車は豪華な設備を備え、客層も富裕層や貴族、要人に限られていた。大正末期、その伝統を受け継いで1・2列車向けの大型3AB客車が新造された。しかし、活躍の時期は短く、昭和初期に鋼製車が新製車の主流になると1・2列車の運用からは引退し、三等車や荷物車に改造されて活躍するようになった。 1・2列車は展望車、一等寝台車、二等寝台車、食堂車、二等車のみで編成された豪華な編成だった。前述の列車の性格もあり、1・2列車に充当されていたような車両はそのまま急行列車や普通列車に充当するには不都合があった。そこで、1・2列車の任を解かれた車両は、その車体の大きさと輸送力を見込まれ、三等車や荷物車に格下げ改造されて活躍することになった。そのようにして誕生した荷物車はマニ29500に編入され、マニ29500の中でも当初から荷物車として製造されたグループとともに活躍した。そのような経緯もあり、マニ29500は各車特徴的な形態を持ち(特に展望車改造の車は展望デッキをそのまま通常デッキに改造したため見た目の差が特に大きい)マニアとしては大変魅力的な荷物車であった。 本セットは、このよう大型木製3AB客車のなれの果ての姿の荷物車のセットである。
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