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オハフ60
¥2,500
本キットはオハ60のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 1949年から1954年にかけて、旧来の老朽化した木造客車を鋼製車体を持つ客車に改造する大工事が行われました。これは鋼体化改造と呼ばれ、詳細については割愛します。オハフ60はそのような鋼体化改造によって誕生したグループで、定員88名の三等緩急車でした。窓幅は700mmとスハ32系客車と同様の狭いもので、窓は3枚で1セットという木造車の面影を強く残した外観でした。当時は既に本州向け(暖地向け)として1000mm幅の窓のオハフ61形の製造が開始されていましたが、当時は1000mm幅の窓の二重窓化が技術的に難しかったため、700mmの狭窓として落成した。70両が製造され、北海道の普通列車として幅広く活用しました。1974年には1両が新幹線雪害対策試験車(オヤ90形)に改造されました。
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オハ60
¥2,500
SOLD OUT
本キットはオハ60のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 1949年から1954年にかけて、旧来の老朽化した木造客車を鋼製車体を持つ客車に改造する大工事が行われました。これは鋼体化改造と呼ばれ、詳細については割愛します。オハ60はそのような鋼体化改造の中で最初に改造されたグループで、定員96名の三等車でした。窓幅は700mmとスハ32系客車と同様の狭いもので、窓は3枚で1セットという木造車の面影を強く残した外観でした。390両が製造され、普通列車として幅広く活用しました。そのうち109両はまもなくセミクロスシートに改造され、定員を増して運用。1000番台となりました。また、15両は外観はそのままにオールロングシートの通勤仕様に改造。オハ63を名乗って通勤輸送に活躍しました。
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オハフ31(オハフ34180)
¥2,500
本キットはオハフ34180由来のオハフ31のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 1937年12月27日、鹿児島発門司行準急12レが小倉付近で3両目から出火し、3両の客車が全焼する事故がありました(原因は乗客のセルロイド玩具材料にタバコの火が引火したこととのこと)。この時焼失したのがナハ22000形客車2両とナハフ25000形客車でした。おりしも当時、木造省電が鋼製化改造される中、木造客車の鋼製化の試験も兼ねてこの焼失した車両の台枠を流用して半鋼製客車が新造されました。ナハ22000形を鋼製化したのがオハ30(オハ31980) 側面の窓配置は種車のレイアウトを踏襲していますが寸法はスハ32系客車のものでした。しかし、それ以外の構体設計は製造当時、小倉工場でも量産中であったオハ35系のそれが流用されノーシルノーヘッダーのすっきりした外観でした。車内設備は種車のものが流用されたようです。結果的に、基本構造はオハ35系、窓寸法はスハ32系、窓配置と車内設備は木造客車という極めて特異な形態の客車となりました。 竣工時には鳥栖区に配置。戦前は鹿児島本線の増結車として活躍。戦時中の1945年に空襲で被災し、廃車となったようです。
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オハ30(オハ31980)
¥2,500
本キットはオハ31980由来のオハ30のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 1937年12月27日、鹿児島発門司行準急12レが小倉付近で3両目から出火し、3両の客車が全焼する事故がありました(原因は乗客のセルロイド玩具材料にタバコの火が引火したこととのこと)。この時焼失したのがナハ22000形客車2両とナハフ25000形客車でした。おりしも当時、木造省電が鋼製化改造される中、木造客車の鋼製化の試験も兼ねてこの焼失した車両の台枠を流用して半鋼製客車が新造されました。これがオハ31980(のちのオハ30)です。 側面の窓配置は種車のレイアウトを踏襲していますが寸法はスハ32系客車のものでした。しかし、それ以外の構体設計は製造当時、小倉工場でも量産中であったオハ35系のそれが流用されノーシルノーヘッダーのすっきりした外観でした。車内設備は種車のものが流用されたようです。結果的に、基本構造はオハ35系、窓寸法はスハ32系、窓配置と車内設備は木造客車という極めて特異な形態の客車となりました。 竣工時には鳥栖区に配置。戦前は鹿児島本線の増結車として活躍。戦後は北九州地区の各路線で運用されました。1959年に一部改造の上配給車オル31系に編入されて活躍。1970年までに廃車となりました。
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