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大正末期の帝都省電セット
¥26,000
大正13年から昭和初期(一部は戦後)までの京浜線、山手線、中央線の電車を再現しました。ペーパーキットです。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 沿線の発展とともに順調に発達してきた京浜線に転機が音連れます。関東大震災です。この復興輸送を支えるべく登場したのがデハ63100系列です。そのため普通車(3等車)はデッキを廃した3扉と全室ロングシート、つり革網棚という現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を以外にも山手線、中央線など東京の省電区間全域で活躍しました。また、前系列のデハ43200系列からも改造編入がなされたこともありバラエティ豊かでした。戦後にも活躍をつづけ、木造省電の代表格ともいえるでしょう。 本セットには、デハ63100系列の基幹系列となるデハ63100、三等中間付随車であるサハ33550が4両ずつ、ボックスシートの好評によってよく使われた二等付随車サロ43100が1両分のキットが含まれます。これらを組み合わせることで、大正12(1921)年以降の京浜線、山手線、中央線電車を再現できます。
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幻の東海道電車特急セット
¥18,000
本セットには、大正末期に登場した木造電車のデハ43200系列のうち基幹系列となる三等電動車デハ43200、及び三等付随車サハ43550が2両ずつと、二等付随車サロ43100、三等郵便荷物合造電動車デハユニ43850のキットが含まれます。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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京浜線開業セット
¥14,000
本セットには、大正初期に登場した木造電車のデハ6340系列のうち、基幹系列となるデハ6340、二等三等合造制御電動車のデロハ6130、中間付随車であるサロハ6190、日本初の郵便設備を持つ電車である郵便荷物三等合造制御電動車であるデハユニ6450のキットが含まれます。これらを組み合わせることで、開通時の大正3(1914)年から関東大震災前後の大正14(1925)年の京浜線電車を再現できます。 キットには車体、屋根、床板、ベンチレーター(T型)、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、車番/表記インレタ、ランプ類は各自ご準備願います。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 京浜線の開通と同時に登場したのがデハ6340系列です。画期的な路線開業と、帝都東京のランドマークとなる駅の開業に合わせて用意された電車が凡庸なものになるはずもなく、中央、山手線で用いられていた車両と車体長、車体幅、集電装置、主電動機出力、全ての面において一線を画す性能の当時の日本で最高水準の性能を持つ電車として登場したのがデハ6340系列でした。この系列で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立した名車といえるでしょう。
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大正初期山手線4両セット 【デハ6310系列】
¥14,000
デハ6310*2、デハ6285、デハ6300の4両セットです。 本キットから、デハ6310、クハ6410、サハ6430(のちのサハ6,19)のどれか2両に加え、デハ6285、デハ6300を製作することが可能です。ただし、台車と動力、パンタグラフは別売です。 デハ6310系列は、大正3年度(1914)に登場しました。当時、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。しかし、当時運行されていた電車は甲武鉄道から承継した2軸電車と、多彩なボギー電車でした。そこで、中央、山手線の電車を共通化すべく、日本の国有鉄道として初めて標準型電車として登場したのが本系列です。平妻非貫通の3枚窓の顔、片側3扉の引戸、3扉デッキなし全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。この電車で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立したともいえるでしょう。また、一部車両は私鉄に譲渡され、さらに電装解除の上サハ6、サハ19として戦後まで生き残るなど、幅広い活躍をしました。
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サハ33550/サハ26_2両セット 【デハ63100/モハ10系列】
¥7,700
本セットには、付随車となるサハ33550のキットが含まれます。サハ33550にも出自によりバリエーションがあります。 また、台車、パンタグラフ、線路、その他アップグレードパーツは含まれていません。 デハ63100系列は大正12(1923)年から大正14(1925)年にかけて製造されました。本系列は、乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が分離されていました。3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルを持ち、関東大震災後の復興輸送を支えました。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を中心に山手線、中央線など東京の省電区間で活躍しました。一部のサハ26は先頭車化改造が行われたほか、 鋼製電車が主流となってくるとモハ10の一部がモユニ12やモニ13に改造され、戦後も長く活躍しました。一部は東急などの私鉄にも移り、活躍の場を広げています。その他の旅客用として残された車両は鋼体化改造を受け、50系電車となり戦後も長くクモハ11の一部などとして鶴見線、南部支線などで活躍しました。
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デハ63100/モハ10_2両セット 【デハ63100/モハ10系列】
¥7,700
本セットには、基幹系列となるデハ63100/モハ10のキットが含まれます。またデハ63100は出自や製造年によりかなり外見のバリエーションがあります。本キットには当初からデハ63100として製造されたグループのうち初年度に製造された扉の狭いタイプが含まれます。 デハ63100系列は大正12(1923)年から大正14(1925)年にかけて製造されました。本系列は、乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が分離されていました。3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルを持ち、関東大震災後の復興輸送を支えました。昭和3年にモハ10、サハ26に改称。京浜線を中心に山手線、中央線など東京の省電区間で活躍しました。一部のサハ26は先頭車化改造が行われたほか、 鋼製電車が主流となってくるとモハ10の一部がモユニ12やモニ13に改造され、戦後も長く活躍しました。一部は東急などの私鉄にも移り、活躍の場を広げています。その他の旅客用として残された車両は鋼体化改造を受け、50系電車となり戦後も長くクモハ11の一部などとして鶴見線、南部支線などで活躍しました。 また、台車、パンタグラフ、線路、その他アップグレードパーツは含まれていません。
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サハ43550_2両セット 【デハ43200/モハ10系列】
¥7,700
キットには車体、屋根、床板、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、ベンチレーター(T型)、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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サロ43100/サロ18_2両セット 【デハ43200/モハ10系列】
¥7,700
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デハ43200_2両セット 【デハ43200/モハ10系列】
¥7,700
キットには車体、屋根、床板、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、ベンチレーター(T型)、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 東海道線は明治22年、東京~神戸で御殿場線のルートを経由して開業しました。しかし御殿場線は遠回りかつ勾配もきつかったことから、新ルートが建設されることに。それが熱海線であり、現在の東海道線の国府津~小田原~熱海~沼津の区間にあたります。そして大正10年、その熱海線の一部として国府津~小田原が開通。東京~小田原間ですぐに電化され、長距離電車が運行開始される予定でした。当時、電車の最長運転距離が南海電鉄の60km程度だったのに対し、東京~小田原は100km超と極めて画期的な計画でした。しかし関東大震災によって電化は遅れ、鉄道省は都市部の復興輸送で手一杯に。計画は画餅に帰したのです。 大正12(1922)年から大正14(1925)年にかけて、鉄道省の電車としては初めてクロスシートと便所を装備した2扉の長距離電車が設計。鉄道省の意気込みが見えた電車が登場。これがデハ43200系列です。後の80系電車の前駆ともいえるでしょう。しかし、関東大震災とそれに伴う計画の頓挫により大量輸送を主眼に設計されたデハ63100系列に改造編入され消滅。本系列は、その薄命さと戦前電車のスターとなるはずだった性格から、"幻の電車"、"或る電車"という異名もつけられています。
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デハユニ43850_2両セット 【デハ43200/モハ10系列】
¥7,700
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デハ6340_2両セット【デハ6340/モハ1系列】
¥7,700
キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR14(DT10)105PS型(動力車)、または明治45年式台車(付随車)になります。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。東京駅の開業と同時に開通しました。 京浜線の開通と同時に登場したのがデハ6340系列です。画期的な路線開業と、帝都東京のランドマークとなる駅の開業に合わせて用意された電車が凡庸なものになるはずもなく、中央、山手線で用いられていた車両と車体長、車体幅、集電装置、主電動機出力、全ての面において一線を画す性能の当時の日本で最高水準の性能を持つ電車として登場したのがデハ6340系列でした。この系列で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立した名車といえるでしょう。
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サロハ6190_2両セット【デハ6340/モハ1系列】
¥7,700
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デハユニ6450_2両セット【デハ6340/モハ1系列】
¥7,700
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デハ6310_2両セット
¥7,700
デハ6310の2両セットです。 本キットから、デハ6310、デハ6380、クハ6410、クハ6430(のちのサハ6,19)のどれか2両を製作することが可能です。キクハ16800、池上電気鉄道デハ20、目黒蒲田電鉄モハ30、青梅電気鉄道サハ10富士山麓電気鉄道ハニ250、鶴見臨港鉄道などへの改造種車としても最適です。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-05R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治43年式になります。 デハ6310系列は、大正3年度(1914)に登場しました。当時、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。しかし、当時運行されていた電車は甲武鉄道から承継した2軸電車と、多彩なボギー電車でした。そこで、中央、山手線の電車を共通化すべく、日本の国有鉄道として初めて標準型電車として登場したのが本系列です。平妻非貫通の3枚窓の顔、片側3扉の引戸、3扉デッキなし全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。この電車で確立されたスタイルは後の省線電車にも色濃く受け継がれ、日本の電車のスタイルを確立したともいえるでしょう。また、一部車両は私鉄に譲渡され、さらに電装解除の上サハ6、サハ19として戦後まで生き残るなど、幅広い活躍をしました。
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デハ6300 更新車_2両セット
¥7,700
デハ6300 更新車の2両セットです。 本キットから、デハ6300 更新車を2両製作することが可能です。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-05R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治45年式になります。 デハ6300 は大正3年に中央、山手線向けに登場しました。当初はナデ6145 を名乗り、大正3年の称号改正でデハ6300 となりました。大正9 年、切妻化、前後の戸の引戸化、片側3 扉化 といった標準化改造がなされました。本キットは標準化工事後後の姿を再現しています。大正13 年に使用停止されたのちは電装解除の後にサハ6410、昭和3年の改称後はサハ6/18 として活躍しました
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デハ6250 更新車_2両セット
¥7,700
デハ6250 更新車の2両セットです。 本キットから、デハ6250 更新車を2両製作することが可能です。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-05R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR10電車用明治43-45年式になります。 デハ6250 は甲武鉄道から引き継いだ2 軸電車の後継として明治42 年に国有鉄道としては初めてのボギー電車として登場しました。当初はホデ1、明治44 年の称号改正でホデ6100、大正3年の称号改正でデハ6250 と呼ばれました。当形式は鉄道院初の電車であったことから、モニター屋根の窓の撤去、開放式デッキへの折戸の設置とデッキ- 客室間の戸の撤去、総括制御への対応、トロリーポールの移設が早期に行われました。さらに大正9 年、 切妻化と前後の戸の引戸化、片側3 扉化改造がなされました。本キットは標準化工事後の姿を再現しています。主に山手線と中央線で運行されました。大正13 年に使用停止されると一部は目黒蒲田電鉄を通じ阪神急行電鉄に譲渡され90 形として活躍しました。
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スニ36500/36650(スニ30)
¥2,500
本キットには、スニ30のうち、スニ36500として製造されたもの、またはスニ36650として製造されたもののどちらか1両が含まれます。 キットには車体、屋根、床板、等級帯デカールが含まれます。台車、連結器、ベンチレーター(T型)、車番/表記インレタは各自ご準備願います。 スニ30には、昭和2年から6年及び昭和7年に各々84両、25両が製造された鋼製全室荷物車です。昭和2年から6年にかけて製造されたグループはスニ36500として製造(昭和2年に製造された車は当初スニ47800を名乗った)、7年に製造されたグループはスニ36650として製造されましたが昭和16年にまとめてスニ30とされました。これらは一般的な荷物車として製造され、特急列車から普通列車まで幅広く運用されたようです。内部構造は車掌室と荷物室がついた標準的な構造でした。スニ36500は木造車譲りの寸法の窓、スニ36650は縦方向にストレッチされた鋼製車寸法の窓であることが特徴です。 戦前は普通列車をはじめ、急行列車、富士や櫻といった特急列車に併結されて幅広く運用。名脇役を務めました。戦災で15両が廃車。戦後は一部は連合軍専用車両として活躍。それ以外は戦前と同じく荷物列車や普通列車、急行、特急列車に併結されて荷物車として幅広く活躍しました。第一線を退いたのちは34両が救援車のスエ30、2両が配給車のオル30に改造。それ以外は昭和40年までに消滅しました。現在は京都鉄道博物館や碓井鉄道ぶんか村、佐久間レールパークなどで保存されています。
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スハネ33100(スハネ31)
¥2,500
本キットはスハネ33100由来のスハネ31のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スハネ31 はスハネ30100 として、昭和7 年から12 年にかけて、初の三等寝台車スハネ30000 の改良増備形式として110 両が製造されました。車内は片側を通路とし、枕木方向に開放式の三段寝台を備えるというかつてのB 寝台車量とほぼ同じ構造でした。また、3 段寝台の採用により従来の二等寝台車に比べて2 倍近い定員の58 名を確保していました。 戦前は東海道線の急行13・14、19・20 列車や特急" 櫻" に併結されて庶民向けの寝台車として活躍しました。しかし、昭和17年には三等寝台に利用が停止。これに伴って翌年にかけて全車が寝台を撤去され、三等車オハ34 に編入されました。外観上の大 きな変化はありませんでした。こののちは普通列車として活躍。戦災で2 両が廃車されました。しかし戦後、三等寝台の復活に伴って1 両を除く全車が再度寝台を装備し、三等寝台車スハネ30(2代) として復活しました。この時当時最新の10 系軽量客車にそろ えた設備としたため、屋根中央の扇風機カバーの増設、出入り口の片側封鎖、リベットの消滅など形態の大きな変化が伴いました。改造後は不定期特急から急行列車、普通列車まで幅広く全国で活躍しましたが昭和42 ~ 49 年に消滅しました。
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スハフ35250
¥2,500
本キットはスハフ35250のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スハフ35250は昭和5年にスハ33900とともに東海道線の庶民向け特急"櫻"の三等客車向けに登場しました。従来"櫻"は木造客車で運行されていましたが、これを鋼製客車に置き換えることがスハ33900及びスハフ35250の目的でした。基本的構造はスハフ34200(のちのスハフ32)と同一でしたが、座席は一方向固定で角度付きモケット付きのせずりと、座席間隔がやや狭いことを除けば当時の木造車の二等車レベルの贅沢な車内設備でした。この特徴は窓が等間隔に並ぶ外観にも表れました。定員は76人とスハフ34200のそれよりも少なかったようです。 門司鉄道局に配置。特急"櫻"で運用されました。しかし、昭和12年輸送力増強のためスハフ34200に任を譲って引退。傷病兵輸送用の病客車のスヘフ35250(昭和16年スヘフ30に改称)に改造されました。
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スハ33900(スハ33)
¥2,500
本キットはスハ33900由来のスハ33のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スハ33はスハ33900として、昭和5年にスハフ35250とともに東海道線の庶民向け特急"櫻"の三等客車向けに登場しました。従来"櫻"は木造客車で運行されていましたが、これを鋼製客車に置き換えることがスハ33900の目的でした。基本的構造はスハ32600(のちのスハ32)と同一でしたが、座席は一方向固定で角度付きモケット付きのせずりと、座席間隔がやや狭いことを除けば当時の木造車の二等車レベルの贅沢な車内設備でした。この特徴は窓が等間隔に並ぶ外観にも表れました。定員はスハ33900は80人とスハ32600のそれよりも少なかったようです。 門司鉄道局に配置。特急"櫻"で運用されました。しかし、昭和12年輸送力増強のためスハ32600に任を譲って引退。傷病兵輸送用の病客車のスヘ32550(昭和16年にスヘ30に改称)に改造されました。しかし一部は"富士"の予備車となったようです。 戦争では1両が被災し廃車。戦後は1両を除き接収され、3両は病院車スヘ31に、13両は軍団長車スイネ30となりました。接収解除後は座席を配置。スハ33に復帰。戦後これらは普通列車に使用されましたが、昭和37~39年にオハネ17に台枠を譲る形で14両が廃車。残りも昭和42年に廃車され、消滅しました。
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スシ37740(スシ37)
¥2,500
本キットはスシ37740由来のスシ37のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スシ37740 は昭和5,6年に19両が製造されました。本形式は20m級鋼製客車のスタイルに忠実であり、平台枠に770mm高さの窓を装備。前系列のスシ37700と窓配置こそほぼ同じである者のより近代的な外観でした。 東海道線の看板列車、富士、櫻、燕をはじめとして、急行7,8,9,10列車(東海道線)、13,14,15,16,17,18列車(東海道線/俗に名士列車)、急行501,502列車(大阪→青森を現在のトワイライトエクスプレスの経路で走破した急行列車)、急行201,202列車(上野→青森を常磐線経由で行く急行)、急行103,104列車(上野→青森を東北本線経由で行く急行)、急行401,402,405,406列車(上野→秋田、青森を東北/奥羽本線経由で行く急行)などの全国の優等列車に併結されて活躍しました。まさに戦前の食堂車の顔ともいえる存在でした。 戦時中には輸送力確保のため、マハ47系列に改造編入され、旅客輸送に活躍。しかし戦後は進駐軍による接収と接収解除の後、食堂車に復帰。非冷房車はスシ28-0、冷房改造車はマシ29-0として急行列車用の食堂車として活躍しました。
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スシ37700(スシ37)
¥2,500
本キットはスシ37700由来のスシ37のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スシ37700 は昭和3,4年に38両が製造されました。本形式は20m級木造食堂車の姿を色濃く受け継ぐもので、魚腹台枠を持ち、窓の高さも660mmと他の鋼製客車(770mm)にくらべ低く、ずんぐりとした外観が特徴でした。 東海道線の看板列車、富士、櫻、燕をはじめとして、急行7,8,9,10列車(東海道線)、13,14,15,16,17,18列車(東海道線/俗に名士列車)、急行501,502列車(大阪→青森を現在のトワイライトエクスプレスの経路で走破した急行列車)、急行201,202列車(上野→青森を常磐線経由で行く急行)、急行103,104列車(上野→青森を東北本線経由で行く急行)、急行401,402,405,406列車(上野→秋田、青森を東北/奥羽本線経由で行く急行)などの全国の優等列車に併結されて活躍しました。まさに戦前の食堂車の顔ともいえる存在でした。 戦時中には輸送力確保のため、マハ47系列に改造編入され、旅客輸送に活躍。しかし戦後は食堂車には復帰されず、そのまま廃車となりました。
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補修用デカール
¥100
コリン堂製品に対応した戦前仕様の等級帯各種のデカールです。1両分が入っております。 価格は1両分当たりの価格でありますため、例えば3両分ご注文の際は3個ご注文ください。セット品の場合でも1両当たりで計算します。(例:1.2列車セットに対応するデカールのセットをご注文の場合は10個分ご注文ください) また、ご注文の際はご注文の後、contactからご注文IDをご記載の上、希望の車種をご連絡ください。(注文の備考欄、または直接メールをくださってもかまいません。) ※画像はデカールの一例で、1.2列車セット、3.4列車セットに対応した内容になっています。 ※食堂車や荷物車などの等級帯のない車の帯デカールの設定はございません。 ※"車掌"文字などの白抜き文字は含まれません。
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鉄道省客車汎用文字インレタ2
¥1,500
大正時代の鉄道院客車向けの汎用文字インレタです。 文字は←書きです。(昭和3年ごろに→に変化。それ以前は←書きが基本のようでした) 1,2列車、又は3,4列車1編成分が入っています。 また、上下の線は位置合わせに使います。 車体用文字は上下の線を帯に、台枠用文字は台枠の下端に合わせるといい感じになります。
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