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スユニ30(スユ36200)
¥2,500
本キットはスユニ36200由来のスユニ30のキットです。台車と床下機器、ガラベン、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売です。 スユニ30は17m級鋼製郵便荷物車です。昭和2年にスユニ476000として15両が登場。昭和3年にはスユニ36200に称号を変更し、5両が増備。昭和16年にはスユニ30に称号を変更しました。郵便室側の引戸は当初、郵便受渡機取付用の引戸が装備されていましたが、後に両開き扉に改造されたようです。 戦前は全国の急行列車や普通列車で郵便荷物車の主力として活躍しました。戦災で1両が廃車され、戦後は普通列車を中心に活躍していたようです。例外的に特急"つばめ"の青大将色への徒食変更時期にスハニ35の代用として用いられたこともあったようです。その後、一部は救援車スエ30に改造されるも、それ以外は昭和42年までに全車が廃車されました。
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スユ30(スユ36000)
¥2,500
本キットはスユ36000由来のスユ30のキットです。台車と床下機器、ガラベン、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売です。 スユ30は昭和2年にスユフ47500として30両が登場した17m級鋼製郵便車です。昭和3年にはスユ36000に称号を変更し、。昭和16年にはスユ30に称号を変更しました。車内設備として、従来郵便区分棚は車内内側にレール方向、外周部に枕木方向に配置されていたのを外周部にレール方向に配置されるようになり、これはのちの郵便車に受け継がれました。戦前の鋼製郵便車としては最多数を誇ったこともあり、郵便車の主力として急行列車などで活躍しました。 戦災で2両が廃車(その中の一部は70系客車に再利用)され、1両が接収されました。接収された車は途中で荷物車に改造され、スニ30に編入。昭和26,27年には2両がスユニ30に編入されました。これらは外観はほぼ変化がなかったようですが、郵便受渡機取付用の引戸は両引戸に改造されたようです。戦後は普通列車や荷物列車の他、一部の急行列車でも活躍。その後は半数以上がが配給車のオル31や救援車のスエ30に改造されました。その後は荷物車などへの転用改造もなく、昭和41年に消滅しました。また、松川事件の事故当該編成にも組み込まれており、2022年大学入学共通テスト日本史Bの写真を飾りました。
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オハフ30(オハフ34000)
¥2,500
本キットはオハフ34000由来のオハフ30のキットです。台車と床下機器、ガラベン、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オハフ30は昭和2-4年にオハフ34000として165両が登場し、昭和16年にはオハフ30に称号を変更しました。側板が鋼製となった以外は大型木製客車の最終増備型と大差ない形態で、車内も木製三等車と変わりませんでした。当初は真空制動屋根水槽式でしたが、すぐに空気制動床下水槽式に改造。ただし、水槽は魚腹台枠の中央株に取り付けられたため薄い形態だったようです。 戦前は特急列車にこそ使用されなかったものの、全国の急行列車の主力客車として活躍。しかし20m級のスハ32600(スハ32)やスハフ34200(スハフ32)が増備されるにつれ、次第に普通列車に活躍の場を移していったようです。戦時中には、一部が通勤型に改造され、オハフ40に。戦災で8両が廃車(その中の一部は70系客車に再利用)。戦後は普通列車を中心に活躍していました。また、昭和34年以降、一部はオル30、オヤ30といった事業用車に改造されました。オハフ30自体も昭和30年後半から41年までに廃車され、姿を消しました。
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オハ31(オハ32000)
¥2,500
本キットはオハ32000由来のオハ31のキットです。台車と床下機器、ガラベン、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オハ31は昭和2-4年にオハ32000として512両が登場し、昭和16年にはオハ31に称号を変更しました。側板が鋼製となった以外は大型木製客車の最終増備型と大差ない形態で、車内も木製三等車と変わりませんでした。当初は真空制動屋根水槽式でしたが、すぐに空気制動床下水槽式に改造。ただし、水槽は魚腹台枠の中央株に取り付けられたため薄い形態だったようです。 戦前は特急列車にこそ使用されなかったものの、全国の急行列車の主力客車として活躍。しかし20m級のスハ32600(スハ32)やスハフ34200(スハフ32)が増備されるにつれ、次第に普通列車に活躍の場を移していったようです。戦時中には、一部が通勤型に改造され、オハ41に。戦災で44両が廃車(その中の一部は70系客車に再利用)。戦後は普通列車を中心に活躍していました。また、昭和31年以降、一部はオル31、オヤ27、オヤ30、スエ30といった事業用車に改造されました。オハ31自体も昭和30年後半から41年までに廃車され、姿を消しました。
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オロハ30(オロハ31300)
¥2,500
本キットはオロハ31300由来のオロハ30のキットです。台車と床下機器、ガラベン、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オロハ30は昭和3-4年にオロハ42350として48両が登場。昭和3年にはオロハ31300に称号を変更し、。昭和16年にはオロハ30に称号を変更しました。中央にトイレを備え、その前後に二等客室と三等客室を備えていました。二等室部は近距離用として向かい合わせ固定式座席を装備し、2枚1組の窓配置でした。三等室部はオハ31に準じたボックスシートを装備し、3枚1組の窓配置でした。 戦前は主に地方線区の急行列車や普通列車で活躍していたようです。戦災で3両が廃車(その中の一部は70系客車に再利用)。その後も普通列車を中心に活躍していました。オハ35とオハフ33で挟まれ、C56で牽引された3両編成の準急"ちどり"などが有名です。昭和35年から廃車が始まり、オハ26への格下げ改造もされ、オロハ30としては昭和36年に形式消滅。オハ26に格下げされた車も昭和41年までに消滅しました。
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オロ31(オロ30600)
¥2,500
本キットはオロ30600由来のオロ31のキットです。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。
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木製電車用 トラス台枠キット
¥1,200
省電の床下機器パーツの分売です。 6250はデハ6250, 6260およびその改造車 6285はデハ6280,6285,6300,6310、およびその改造車(ワ50000など) 6340Mはデハ6340,23400、デハユニ6450、デハニ23850、及びその改造車(モハ1の一部、デハニ6450、デユニ33850/モユニ2、デニ6450/モニ3、モヤ4) 6340Tはサロハ6190、サロ33200、サハ33700 33500Mはデハ23450,23500,33500,43200,63100,デハユニ43850及びその改造車(モユニ12、モニ13、モヤ11) 33500Tはサロ33250、サハ33750、サロ43100、サハ43550、サハ33550 に各々適応します。キット組立て時に失敗したときや、オリジナル車両の制作にご活用ください。 2両分入り
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電車床下機器
¥600
省電の床下機器パーツの分売です。 50PS車用はデハ6250,6260,6280,6285,6300,6310、デハ23400,23450,23500 105PS車用はデロハ6130、デハ6340、デハユニ6450及びその改造車(モハ1の一部、デハニ6450、デユニ33850/モユニ2、デニ6450/モニ3、モヤ4) デハ33500用はデハ33500/モハ1及びその改造車 150PS車用はデハ43200、デハ63100及びその改造車(モユニ12、モニ13、モヤ11) に各々適応します。キット組立て時に失敗したとき、オリジナル車両の制作にご活用ください。
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オハ34(スハ33000)
¥2,500
本キットはスハ33000由来のオハ34のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オハ34はスハ33000として昭和10,11年に、東海道線を走る鉄道省の看板列車、特急"富士"に三等座席車を連結すべく12両が製造されました。基本スタイルはスハ32800(のちのスハ32)と同様ですが、向かい合わせの座席間隔が比較的広くされていました。外見にもそれは表れており、スハ32800(スハ32に比べ)ゆったりとした窓の配置となっています。また、定員もスハ32800(スハ32)の88名に比べ80名と少ないものでした。接客設備は、広い座席間隔に加え二等車と同等の明るさの室内灯、ひじ掛けと扇風機の設置、鎧戸の撤廃と、豪華な仕様でした。 戦前は特急"富士"の三等車として活躍。しかし、戦後は富山区に集中配置されて(1両のみ松本区配置)普通列車に主に使われ1969年に廃車され消滅したようです。
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オロ40(スロ31120)
¥2,500
本キットは戦前に製造されたオロ40のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 戦前型オロ40はスロ31120として昭和15年に23両が、昭和16年の改称後の昭和16、17年に14両が製造された定員64名の全室二等客車です。オロ36に則った広窓がゆったり並ぶ外見をもち、車内設備は一つの窓に対し一つの向かい合わせのシートを装備していました。このシートは方向転換こそできないものの深々と座れるクッション付きのクロスシートであったようです。台枠は長形台枠で台車はTR23を装備。また、本形式の組み立てにはすべて溶接が用いられるようになり、リベットは使用されませんでした。前形式との相違は窓の幅が1300mmから1200mmmに変更されたくらいです。 製造当初は"燕"、"富士"、"鴎"といった主要幹線の優等列車に用いられる二等車として使用されました。 戦災で2両が廃車されました。戦後は特ロ登場までの特急列車のほか、南は鹿児島から北は青森まで全国津々浦々の急行列車や準急、普通列車で"並ロ"として大活躍しました。昭和38年には見た目も設備もほとんどそのままに格下げされ、三等車オハ55 100番台となり形式消滅しました。オハ55自体は昭和46年まで残存していたようです。一部がマニ36に再改造されています。また、戦後にも49両が増備され、こちらは屋根端部が半切妻(いわゆるキノコ型)になっていたほか、台車もTR34に変更されていたようようです。
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オロ36(スロ30960)
¥2,500
本キットはスロ30960由来のオロ36のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オロ36はスロ30960として昭和13、14年に38両が製造された、定員64名の全室二等客車です。従来の700mm幅の窓に比べて2倍近い幅の1300mmの広い幅の窓を採用。従来の小さな窓が並ぶ外観から広窓がゆったり並ぶ外見に大きく変化しました。車内設備はそれまで一つの窓に対し一つの転換式クロスシートが装備されていたのに対し、一つの窓に対し一つの向かい合わせのシートが装備されるようになりました。このシートは方向転換こそできないものの深々と座れるクッション付きのクロスシートであったようです。台枠は長形台枠で台車はTR23を装備。また、本形式から組み立てにはすべて溶接が用いられるようになり、従来車につきものだったリベットが消えたというのも外観上の大きな変化です。しかし、この広窓は大型のガラス板を木枠ではさんである構造であるため非常に重く、つり上げばねがついているとはいえ1人では両端の窓戸錠を同時に解放操作しつつ開閉するのは極めて困難でした。このため38両で製造は打ち切られ、以後の増備は窓幅を100mm縮小して窓の開閉を容易にしたスロ31120(のちのオロ40)へ移行しました。 製造当初は"燕"、"富士"、"鴎"といった主要幹線の優等列車に用いられる二等車として使用されました。 戦災で2両が廃車されました。戦後は特ロ登場までの特急列車のほか、南は鹿児島から北は青森まで全国津々浦々の急行列車や準急、普通列車で"並ロ"として大活躍しました。昭和38年には見た目も設備もほとんどそのままに格下げされ、三等車オハ55 100番台となり形式消滅しました。オハ55 100番台はのちに一部がマニ36に再改造されています。
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オロフ33(スロフ31100)
¥2,500
本キットはスロフ31100由来のオロフ33のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オロフ33は昭和14年にスロフ31100として5両が製造されました。 それまでの鋼製二等緩急車は、いずれも通常の二等車よりも定員を4人減らして、車端に車掌室を設けていました。しかしスロフ31100ではは特急での使用を考えられていたため、車掌室と通路を挟む形で給仕室も設けられたことが特徴です。このため、定員はスロ30960形よりも8人少ない56人でした。スロフ30960に対応する緩急車であり、向かい合わせの固定式クロスシートの車内設備、、1300㎜幅の広窓が並ぶ窓配置といった点はスロ30960と同じです。 登場後は特急"燕"、"鴎"などで使用されました。戦災廃車はなく、1両が連合軍に接収されました(昭和27年に接収解除)。戦後は戦後初の特急"へいわ"(昭和25年1月に"つばめ"に改称)にスロ34と共通運用で連結されたほか、急行"瀬戸"などで活躍しました。さらに昭和40年には2両が外観や内装はそのままでオハフ53形に格下げされ、水戸線、水郡線などの普通列車で活躍しました その後、格下げされずに残っていたオロフ33昭和42年に廃車。格下げされたオハフ53形も昭和43年3月~9月に全車が廃車されました。
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オロ35(スロ30850)
¥2,500
本キットはスロ33850由来のオロ35のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オロ35は、スロ30850として昭和9年から16年にかけて70両が製造されました。定員64名で車内には転換式クロスシートを装備していました。スロ30800(スロ32)と同様、側窓が等間隔で並ぶ端正な外見です。しかし技術の進歩を反映し、リベットが少ない(又はない)、丸屋根であるといった差異があります。 これらは汎用の二等車として設計されました。そのため、"富士"や"燕"といった看板列車に連結されることはありませんでしたが、東海道本線、山陽本線をはじめ東北本線や常磐線、北陸本線といった幅広い地域の急行列車に連結されて活躍しました。 戦災で6両が廃車、戦後は18両が連合軍に接収されました。接収解除の後は二等車に復元され、活躍しました。その後昭和30,31年にかけて、東北、北陸方面で運用される車両は電気暖房装置設置工事が行われ、スロ43に改称されました。また、スロ43に改造されなかった車両もドア交換や蛍光灯化、アルミサッシ化などの近代化改造をうけました。オロ35及びスロ43は南は鹿児島から北は青森まで全国津々浦々の急行列車や準急、普通列車で"並ロ"として大活躍しました。しかしその後特ロの増備により、6両がマニ36に改造。残りもオハ53-0番台に格下げされ、消滅しました。
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スロ34(スロ30750,30770)
¥2,500
本キットはスロ33750由来のスロ34、またはスロ33770由来のスロ34のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、近代化改造部品は別売となります。 スロ34は、昭和5年に登場したスロ30750と、昭和11、12年に登場したスロ30770を統一した全室二等客車です。前身となるスロ30750は、昭和5年に特急"燕"、及び1,2等急行用として10両が製造されました。また、スロ30770は昭和11、12年に特急"燕"用に11両が製造されました。車内設備は両者とも定員60名で転換式クロスシートを装備。さらに洗面所が二つある、給仕室がついているなど高級優等列車の二等車といった雰囲気があります。窓割は両者共通ですが、屋根はスロ30750はダブルルーフなのに対し、スロ30770は丸屋根であるといった差異が存在します。 スロ33750、30770は戦前は特急"富士"や"燕"、"鴎"といった鉄道省の看板列車で活躍しました。これらの編成を再現するには必須といえる車両です。 戦災で2両が廃車、戦後は6両が連合軍に接収されました。昭和27年までに全車が接収解除されました。接収されなかった車両は、スロ60などの特別二等車が登場するまで"へいわ"、"つばめ"、"はと"などの特急でも使用されました。しかしより設備の良いスロ60などが登場した後は接収解除された車両と共に、初期の特急"つばめ"や"はと"の他、"明星"や"北陸"、"天草"、"青葉"、"鳥海"といった急行列車のほか、普通列車などで"並ロ"として使用されました。 その後、昭和39年には観光団体列車などの緩急車として、給仕室を車掌室に改造してスロフ34に2両が改造されました。窓割などの外観上の変化はほとんどありませんでした。同年にはスロ341両台枠を流用する形でオハネ17形に改造。残る6両全車が、設備はそのままでスハ52形に格下げされました。 その後、昭和41年に2両がマニ36形に改造。他形式に改造されなかった4両のうち3両は昭和40・41年に廃車となり、最後まで残ったスハ52 13も昭和43年5月に廃車されました。スロフ34形となった2両については最後まで格下げされず、全室の戦前製二等車(昭和40年ごろは一等車扱い)としては遅い時期まで残りました。これらの残ったスロフ34も昭和42年に廃車となりました。
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スロ33(スロ31000)
¥2,500
本キットはスロ31000由来のスロ33のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロ33は昭和4、5年にスロ31000として登場しました。(昭和16年にスロ33に改称) スロ31000は、スロ30800(後のスロ32)に続いて登場した二等車です。スロ30800は長距離運用を前提に転換式クロスシートを装備していました。しかしスロ31000は近距離用として固定式クロスシートを備えた事が特徴です。側窓はこの座席に対応した結果、向かい合わせの座席1組に対し700ミリ幅の窓が2枚1組で配置。側窓が等間隔で並ぶスロ30800とは大きく異なる外観となりました。しかし長形台枠やTR23台車といった下回りはスロ30800を踏襲しています。 スロ31000は当初全車が東京鉄道局に配置。湘南列車(東海道線の東京⇔熱海のの普通列車)で使用されました。その後は東海道線、東北本線、常磐線、鹿児島本線、長崎本線等の急行列車にも併結されています。また、一部は昭和8年末の紀勢西線延伸開業に伴う準急「黒潮号」の白浜口延長運転開始時の阪和電鉄への乗り入れ運用に充当されていたことも有名です。 昭和13、14年には9両が華中鉄道に転出。戦災で7両が廃車となっています。 戦後は16両が進駐軍に接収され、一部は部隊輸送用寝台車スハネ34形などに改造されました。返還後、14両はスロ33形に復元されましたが、2両は復元されず、昭和31年にオハ61と同様の座席を装備の上、三等車スハ37 21・22となりました。 その他のスロ33は連合軍からの接収解除後、22両が復帰。主に東海道本線、山陽本線の普通列車で"並ロ"として使用されました。しかし昭和37年からはオハネ17やオシ16形に台枠などを提供する形で改造され、消滅しました。最後まで残ったスロ33 6/24は、昭和39年に設備はそのままでスハ51形に格下げされましたが、スハ51 6は同年にオハネ17形に改造され消滅。スハ51 24は昭和40年にスハ54 1へ形式変更されましたが翌年廃車されました。さて、元スロ33形の車両としては、いち早く三等格下げを受けたスハ37が最後まで残りましたが、これも昭和41年に廃車されました。
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スロ32(スロ30800)
¥2,500
本キットはスロ30800由来のスロ32のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロ32(スロ30800)は、昭和4年に登場した、初の20メートル級2軸ボギー客車です。従来の形式よりも窓の天地寸法が拡大され(660mm→740mm)、それに合わせてウィンドシル幅も広くなり比較的開放的な見かけとなりました。また、長形台枠やTR23が最初に採用されたのもこの形式です。定員は64名で車内設備に長距離の二等車用として転換式座席を装備。その結果側窓が等間隔で並ぶ端正な外見となりました。 スロ30800形は東海道線などの急行列車や特急 臨時燕などで使用され、昭和16年10月の称号改正でスロ32形となりました。うち2両は戦災で廃車。 戦後は5両が連合軍に接収され、そのうちの2両は部隊輸送用の簡易寝台車スハネ34形に改造されました。しかしその後は二等車には復元されず、昭和31年にオハ61形と同様の座席が取付けられ、定員96名の三等車スハ37に改造されました。その他のスロ32形は"並ロ"として普通列車などで使用されましたが、オハネ17やオシ16に台枠を提供する形で廃車。スロ32は形式消滅しました。またスハ37形となった車輌も昭和40・41年に廃車・改造されました。
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スロフ32(スロフ31050)
¥2,500
本キットはスロフ31050由来のオロフ32のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロフ31250は、スロ30850(のちのオロ35)に対応する二等緩急車として、昭和9年に11両のみが製造されました。 戦前はオロ35と同様、全国の急行列車、普通列車などで活躍したようです。戦災で2両が廃車。6両が進駐軍に接収されました。接収解除後も"並ロ"として急行列車や普通列車などに使用されました。昭和40年には7両が外見を保ったままオハフ52に格下げ改造されました。残ったスロフ32も昭和42年に廃車され、形式消滅しました。
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スロフ31(スロフ31250)
¥2,500
本キットはスロフ31250由来のスロフ31のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロフ31250は、スロ30800(のちのスロ32)に対応する二等緩急車として、昭和5年に2両のみが製造されました。何しろ製造両数が少ないため相当レアな車であったと想像されます。 戦災廃車はなく、全車が進駐軍に接収されました。接収解除後は1両がオハネ17に台枠を譲る形で廃車、もう1両はスハフ50に格下げ改造されました。
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スロフ30(スロフ31200)
¥2,500
本キットはスロフ31200由来のスロフ30のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロフ30形は、昭和4、5年にスロフ31200形として20輌が登場した二等緩急車です(昭和16年にスロフ30に改称)。基本的にスロ31000(後のスロ33)に車掌室を設けたスタイルで、700㎜幅窓が2枚1組となった窓配置が特徴的な外観です。近距離用の固定式座席を装備し、定員は60名でした。スロ31000と同様に、長形台枠や軸バネ式のTR23台車を装備していました。 スロフ31200形は当初、15輌が東京鉄道局に、5輌が札幌鉄道局配置され、近距離の急行や準急、普通列車に使用されていたようです。なぜか九州内の急行でも使用された例があります。 戦災で1両が廃車。戦後は12両が連合軍に接収されましたが、昭和27年までに全車接収解除され、スロフ30に復元されました。戦後のスロフ30は、命名から間もない頃の急行"銀河"や普通列車で"並ロ"として活躍しました。昭和37~38年には10両がオハネ17に台枠を提供して消滅。残ったスロフ30は昭和39年に設備も外観もそのままでスハフ50形に格下げされました。このうち2両もオハネ17に台枠を提供し消滅。最後まで残った2両も昭和43年に廃車となりました。
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スイロフ30(スイロフ30550)
¥2,500
本キットはスイロフ30550由来のスイロフ30のキットです。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スイロフ30(スイロフ30550)は、昭和7年に登場した、20メートル級2軸ボギー客車です。皇族や高官などの貸切用の木製客車ナイロフ20550形を鋼製車に置換えるために、2両が製造されました。戦前は全車が東京鉄道局に配備され、皇族や高官の貸切輸送に使われました。 戦後は連合軍に接収されるも、昭和24年に旧一等側のみ返還。この時二等に格下げされ、スロフ34に。28年には接収解除され、旧一等側に三等座席が設置され、スロハフ31に改造。昭和38年にはスハフ34に格下げされ、翌年オハネ17に改造され姿を消しました。
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鉄道省客車汎用文字インレタ3
¥800
SOLD OUT
昭和戦前期時代の鉄道省の電車/客車向けの汎用文字インレタです。 文字は→書きです。(昭和3年ごろに→に変化。それ以前は←書きが基本のようでした) 目安として、1,2列車 or 3,4列車1編成分が入っています。商品画像は4ケセットの画像です。 また、上下の線は位置合わせに使います。 車体用文字は上下の線を帯に合わせるといい感じになります。
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UF21/45(20m 級大型客車向け平台枠)キット
¥1,000
本製品は、20m 級車両向けの平台枠を再現したキットです。車両は付属しません。 2両分入り。 初期の鋼製車には、台枠強度確保のため魚腹台枠が使用されていました。しかし車体が鋼製であり、車体構造物にも強度の担保が可能であったため、魚腹台枠は過剰な強度でありおもおもすぎたことから、強度を落とし、軽量化が図られた台枠が登場しました。これが平台枠と呼ばれるものです。TR23などの2軸台車向けのUF21、TR73などの3軸台車向けのUF45があり、UF21は二等車や三等車、三等寝台車などの通常客車、UF45は一等/二等寝台車、食堂車などの優等客車荷重に使用されました。
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スユ70
¥2,500
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、スユ70のキットです。スユ70は、17m級郵便車として計画され、設計されましたが実際に制作されることはありませんでした。
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デハニ6450_2両セット
¥7,700
デハニ6450は、大正14年にデハユニ6450及びデロハ6130の一部を三等荷物車に改造して登場した形式です。まもなく荷物電車の旅客電車からの分離が行われ、活躍した時期は短かったようです。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR14(DT10)105PS型になります。 本キットは、そのようなデハニ6450を再現したキットです。デハニ6450には、デハユニ6450を改造種車としたもの、デロハ6130を改造種車にしたものとで形態差があり、本キットではどちらのデハニ6450を作り分けています。
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