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オロ36(スロ30960) 2-090
¥2,000
本キットはスロ30960由来のオロ36のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オロ36はスロ30960として昭和13、14年に38両が製造された、定員64名の全室二等客車です。従来の700mm幅の窓に比べて2倍近い幅の1300mmの広い幅の窓を採用。従来の小さな窓が並ぶ外観から広窓がゆったり並ぶ外見に大きく変化しました。車内設備はそれまで一つの窓に対し一つの転換式クロスシートが装備されていたのに対し、一つの窓に対し一つの向かい合わせのシートが装備されるようになりました。このシートは方向転換こそできないものの深々と座れるクッション付きのクロスシートであったようです。台枠は長形台枠で台車はTR23を装備。また、本形式から組み立てにはすべて溶接が用いられるようになり、従来車につきものだったリベットが消えたというのも外観上の大きな変化です。しかし、この広窓は大型のガラス板を木枠ではさんである構造であるため非常に重く、つり上げばねがついているとはいえ1人では両端の窓戸錠を同時に解放操作しつつ開閉するのは極めて困難でした。このため38両で製造は打ち切られ、以後の増備は窓幅を100mm縮小して窓の開閉を容易にしたスロ31120(のちのオロ40)へ移行しました。 製造当初は"燕"、"富士"、"鴎"といった主要幹線の優等列車に用いられる二等車として使用されました。 戦災で2両が廃車されました。戦後は特ロ登場までの特急列車のほか、南は鹿児島から北は青森まで全国津々浦々の急行列車や準急、普通列車で"並ロ"として大活躍しました。昭和38年には見た目も設備もほとんどそのままに格下げされ、三等車オハ55 100番台となり形式消滅しました。オハ55 100番台はのちに一部がマニ36に再改造されています。
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オロフ33(スロフ31100) 2-089
¥2,000
本キットはスロフ31100由来のオロフ33のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オロフ33は昭和14年にスロフ31100として5両が製造されました。 それまでの鋼製二等緩急車は、いずれも通常の二等車よりも定員を4人減らして、車端に車掌室を設けていました。しかしスロフ31100ではは特急での使用を考えられていたため、車掌室と通路を挟む形で給仕室も設けられたことが特徴です。このため、定員はスロ30960形よりも8人少ない56人でした。スロフ30960に対応する緩急車であり、向かい合わせの固定式クロスシートの車内設備、、1300㎜幅の広窓が並ぶ窓配置といった点はスロ30960と同じです。 登場後は特急"燕"、"鴎"などで使用されました。戦災廃車はなく、1両が連合軍に接収されました(昭和27年に接収解除)。戦後は戦後初の特急"へいわ"(昭和25年1月に"つばめ"に改称)にスロ34と共通運用で連結されたほか、急行"瀬戸"などで活躍しました。さらに昭和40年には2両が外観や内装はそのままでオハフ53形に格下げされ、水戸線、水郡線などの普通列車で活躍しました その後、格下げされずに残っていたオロフ33昭和42年に廃車。格下げされたオハフ53形も昭和43年3月~9月に全車が廃車されました。
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オロ35(スロ30850) 2-087
¥2,000
本キットはスロ33850由来のオロ35のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 オロ35は、スロ30850として昭和9年から16年にかけて70両が製造されました。定員64名で車内には転換式クロスシートを装備していました。スロ30800(スロ32)と同様、側窓が等間隔で並ぶ端正な外見です。しかし技術の進歩を反映し、リベットが少ない(又はない)、丸屋根であるといった差異があります。 これらは汎用の二等車として設計されました。そのため、"富士"や"燕"といった看板列車に連結されることはありませんでしたが、東海道本線、山陽本線をはじめ東北本線や常磐線、北陸本線といった幅広い地域の急行列車に連結されて活躍しました。 戦災で6両が廃車、戦後は18両が連合軍に接収されました。接収解除の後は二等車に復元され、活躍しました。その後昭和30,31年にかけて、東北、北陸方面で運用される車両は電気暖房装置設置工事が行われ、スロ43に改称されました。また、スロ43に改造されなかった車両もドア交換や蛍光灯化、アルミサッシ化などの近代化改造をうけました。オロ35及びスロ43は南は鹿児島から北は青森まで全国津々浦々の急行列車や準急、普通列車で"並ロ"として大活躍しました。しかしその後特ロの増備により、6両がマニ36に改造。残りもオハ53-0番台に格下げされ、消滅しました。
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スロ34(スロ30750,30770) 2-086
¥2,000
本キットはスロ33750由来のスロ34、またはスロ33770由来のスロ34のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、近代化改造部品は別売となります。 スロ34は、昭和5年に登場したスロ30750と、昭和11、12年に登場したスロ30770を統一した全室二等客車です。前身となるスロ30750は、昭和5年に特急"燕"、及び1,2等急行用として10両が製造されました。また、スロ30770は昭和11、12年に特急"燕"用に11両が製造されました。車内設備は両者とも定員60名で転換式クロスシートを装備。さらに洗面所が二つある、給仕室がついているなど高級優等列車の二等車といった雰囲気があります。窓割は両者共通ですが、屋根はスロ30750はダブルルーフなのに対し、スロ30770は丸屋根であるといった差異が存在します。 スロ33750、30770は戦前は特急"富士"や"燕"、"鴎"といった鉄道省の看板列車で活躍しました。これらの編成を再現するには必須といえる車両です。 戦災で2両が廃車、戦後は6両が連合軍に接収されました。昭和27年までに全車が接収解除されました。接収されなかった車両は、スロ60などの特別二等車が登場するまで"へいわ"、"つばめ"、"はと"などの特急でも使用されました。しかしより設備の良いスロ60などが登場した後は接収解除された車両と共に、初期の特急"つばめ"や"はと"の他、"明星"や"北陸"、"天草"、"青葉"、"鳥海"といった急行列車のほか、普通列車などで"並ロ"として使用されました。 その後、昭和39年には観光団体列車などの緩急車として、給仕室を車掌室に改造してスロフ34に2両が改造されました。窓割などの外観上の変化はほとんどありませんでした。同年にはスロ341両台枠を流用する形でオハネ17形に改造。残る6両全車が、設備はそのままでスハ52形に格下げされました。 その後、昭和41年に2両がマニ36形に改造。他形式に改造されなかった4両のうち3両は昭和40・41年に廃車となり、最後まで残ったスハ52 13も昭和43年5月に廃車されました。スロフ34形となった2両については最後まで格下げされず、全室の戦前製二等車(昭和40年ごろは一等車扱い)としては遅い時期まで残りました。これらの残ったスロフ34も昭和42年に廃車となりました。
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スロ33(スロ31000) 2-085
¥2,000
本キットはスロ31000由来のスロ33のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロ33は昭和4、5年にスロ31000として登場しました。(昭和16年にスロ33に改称) スロ31000は、スロ30800(後のスロ32)に続いて登場した二等車です。スロ30800は長距離運用を前提に転換式クロスシートを装備していました。しかしスロ31000は近距離用として固定式クロスシートを備えた事が特徴です。側窓はこの座席に対応した結果、向かい合わせの座席1組に対し700ミリ幅の窓が2枚1組で配置。側窓が等間隔で並ぶスロ30800とは大きく異なる外観となりました。しかし長形台枠やTR23台車といった下回りはスロ30800を踏襲しています。 スロ31000は当初全車が東京鉄道局に配置。湘南列車(東海道線の東京⇔熱海のの普通列車)で使用されました。その後は東海道線、東北本線、常磐線、鹿児島本線、長崎本線等の急行列車にも併結されています。また、一部は昭和8年末の紀勢西線延伸開業に伴う準急「黒潮号」の白浜口延長運転開始時の阪和電鉄への乗り入れ運用に充当されていたことも有名です。 昭和13、14年には9両が華中鉄道に転出。戦災で7両が廃車となっています。 戦後は16両が進駐軍に接収され、一部は部隊輸送用寝台車スハネ34形などに改造されました。返還後、14両はスロ33形に復元されましたが、2両は復元されず、昭和31年にオハ61と同様の座席を装備の上、三等車スハ37 21・22となりました。 その他のスロ33は連合軍からの接収解除後、22両が復帰。主に東海道本線、山陽本線の普通列車で"並ロ"として使用されました。しかし昭和37年からはオハネ17やオシ16形に台枠などを提供する形で改造され、消滅しました。最後まで残ったスロ33 6/24は、昭和39年に設備はそのままでスハ51形に格下げされましたが、スハ51 6は同年にオハネ17形に改造され消滅。スハ51 24は昭和40年にスハ54 1へ形式変更されましたが翌年廃車されました。さて、元スロ33形の車両としては、いち早く三等格下げを受けたスハ37が最後まで残りましたが、これも昭和41年に廃車されました。
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スロ32(スロ30800) 2-084
¥2,000
本キットはスロ30800由来のスロ32のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロ32(スロ30800)は、昭和4年に登場した、初の20メートル級2軸ボギー客車です。従来の形式よりも窓の天地寸法が拡大され(660mm→740mm)、それに合わせてウィンドシル幅も広くなり比較的開放的な見かけとなりました。また、長形台枠やTR23が最初に採用されたのもこの形式です。定員は64名で車内設備に長距離の二等車用として転換式座席を装備。その結果側窓が等間隔で並ぶ端正な外見となりました。 スロ30800形は東海道線などの急行列車や特急 臨時燕などで使用され、昭和16年10月の称号改正でスロ32形となりました。うち2両は戦災で廃車。 戦後は5両が連合軍に接収され、そのうちの2両は部隊輸送用の簡易寝台車スハネ34形に改造されました。しかしその後は二等車には復元されず、昭和31年にオハ61形と同様の座席が取付けられ、定員96名の三等車スハ37に改造されました。その他のスロ32形は"並ロ"として普通列車などで使用されましたが、オハネ17やオシ16に台枠を提供する形で廃車。スロ32は形式消滅しました。またスハ37形となった車輌も昭和40・41年に廃車・改造されました。
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スロフ32(スロフ31050) 2-083
¥2,000
本キットはスロフ31050由来のオロフ32のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロフ31250は、スロ30850(のちのオロ35)に対応する二等緩急車として、昭和9年に11両のみが製造されました。 戦前はオロ35と同様、全国の急行列車、普通列車などで活躍したようです。戦災で2両が廃車。6両が進駐軍に接収されました。接収解除後も"並ロ"として急行列車や普通列車などに使用されました。昭和40年には7両が外見を保ったままオハフ52に格下げ改造されました。残ったスロフ32も昭和42年に廃車され、形式消滅しました。
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スロフ31(スロフ31250) 2-082
¥2,000
本キットはスロフ31250由来のスロフ31のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロフ31250は、スロ30800(のちのスロ32)に対応する二等緩急車として、昭和5年に2両のみが製造されました。何しろ製造両数が少ないため相当レアな車であったと想像されます。 戦災廃車はなく、全車が進駐軍に接収されました。接収解除後は1両がオハネ17に台枠を譲る形で廃車、もう1両はスハフ50に格下げ改造されました。
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スロフ30(スロフ31200) 2-081
¥2,000
本キットはスロフ31200由来のスロフ30のキットとなります。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スロフ30形は、昭和4、5年にスロフ31200形として20輌が登場した二等緩急車です(昭和16年にスロフ30に改称)。基本的にスロ31000(後のスロ33)に車掌室を設けたスタイルで、700㎜幅窓が2枚1組となった窓配置が特徴的な外観です。近距離用の固定式座席を装備し、定員は60名でした。スロ31000と同様に、長形台枠や軸バネ式のTR23台車を装備していました。 スロフ31200形は当初、15輌が東京鉄道局に、5輌が札幌鉄道局配置され、近距離の急行や準急、普通列車に使用されていたようです。なぜか九州内の急行でも使用された例があります。 戦災で1両が廃車。戦後は12両が連合軍に接収されましたが、昭和27年までに全車接収解除され、スロフ30に復元されました。戦後のスロフ30は、命名から間もない頃の急行"銀河"や普通列車で"並ロ"として活躍しました。昭和37~38年には10両がオハネ17に台枠を提供して消滅。残ったスロフ30は昭和39年に設備も外観もそのままでスハフ50形に格下げされました。このうち2両もオハネ17に台枠を提供し消滅。最後まで残った2両も昭和43年に廃車となりました。
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スイロフ30(スイロフ30550) 2-080
¥2,000
本キットはスイロフ30550由来のスイロフ30のキットです。台車と床下機器、表記インレタ、及び近代化改造部品は別売となります。 スイロフ30(スイロフ30550)は、昭和7年に登場した、20メートル級2軸ボギー客車です。皇族や高官などの貸切用の木製客車ナイロフ20550形を鋼製車に置換えるために、2両が製造されました。戦前は全車が東京鉄道局に配備され、皇族や高官の貸切輸送に使われました。 戦後は連合軍に接収されるも、昭和24年に旧一等側のみ返還。この時二等に格下げされ、スロフ34に。28年には接収解除され、旧一等側に三等座席が設置され、スロハフ31に改造。昭和38年にはスハフ34に格下げされ、翌年オハネ17に改造され姿を消しました。
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鉄道省客車汎用文字インレタ3 3-019
¥800
SOLD OUT
昭和戦前期時代の鉄道省の電車/客車向けの汎用文字インレタです。 文字は→書きです。(昭和3年ごろに→に変化。それ以前は←書きが基本のようでした) 目安として、1,2列車 or 3,4列車1編成分が入っています。商品画像は4ケセットの画像です。 また、上下の線は位置合わせに使います。 車体用文字は上下の線を帯に合わせるといい感じになります。
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UF21/45(20m 級大型客車向け平台枠)キット 3-018
¥1,000
本製品は、20m 級車両向けの平台枠を再現したキットです。車両は付属しません。 2両分入り。 初期の鋼製車には、台枠強度確保のため魚腹台枠が使用されていました。しかし車体が鋼製であり、車体構造物にも強度の担保が可能であったため、魚腹台枠は過剰な強度でありおもおもすぎたことから、強度を落とし、軽量化が図られた台枠が登場しました。これが平台枠と呼ばれるものです。TR23などの2軸台車向けのUF21、TR73などの3軸台車向けのUF45があり、UF21は二等車や三等車、三等寝台車などの通常客車、UF45は一等/二等寝台車、食堂車などの優等客車荷重に使用されました。
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スユ70 2-079
¥2,000
1946年、太平洋戦争を終えた日本の鉄道事情は散々なものでした。しかし時代は戦後復興。軍、貨物優先だった戦時下と対照的に旅客需要が伸び続け、戦火を逃れた車両たちを総動員してもとても賄いきれません。そんな中、運輸省は終戦翌年の年より戦災で焼失した客車や電車の使える部品を流用した“戦災復旧客車”の製造を開始しました。これが70系客車です。本系列はとにかく量産することを主眼に置かれたため、簡素な設備ながら様々なバリエーションが存在しました。やがて50年代になると製造技術も回復。劣悪な設備を持つ70系客車は荷物車に改造され諸設備を追加されて活躍します。60年代からは10系客車やマニ60の増備に追われ、69年までには全車が救援車などに改造されるか廃車となりました。救援車となった車は長く車両基地の片隅に佇んでいましたが、 国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。 唯一残ったスエ78 15も2007年に廃車となりました。 本セットは、スユ70のキットです。スユ70は、17m級郵便車として計画され、設計されましたが実際に制作されることはありませんでした。
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デハニ6450_2両セット 2-076
¥6,000
デハニ6450は、大正14年にデハユニ6450及びデロハ6130の一部を三等荷物車に改造して登場した形式です。まもなく荷物電車の旅客電車からの分離が行われ、活躍した時期は短かったようです。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 ※附属台車はデフォルトの場合、TR14(DT10)105PS型になります。 本キットは、そのようなデハニ6450を再現したキットです。デハニ6450には、デハユニ6450を改造種車としたもの、デロハ6130を改造種車にしたものとで形態差があり、本キットではどちらのデハニ6450を作り分けています。
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デハ6340系列(3扉仕様)_2両セット 2-075
¥6,000
キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 デハ6340-6363(デハ6340改造車)、デハ6351,6352,6361,,6364-6373(デロハ6130改造車)では、運転台反対側の小窓の有無の差異がありますが、組みわけが可能です。 大正3(1914)年、中央線御茶ノ水~中野と山手線烏森(現新橋)~渋谷~新宿~池袋~上野で電車運転が開始されていました。この実績を受け、帝都東京~港町横浜間に新規に敷設された電車専用の路線が京浜線です。京浜線の開通と同時に登場したのがデハ6340系列で、当時の日本で最高水準の性能を持つ電車として登場しました。しかし、後継車の登場により、扉増設改造の上、三等格下げを受け京浜線以外の中央/山手線でも運用されるようになりました。昭和3年にはデハ33500とともにモハ1に編入(サハ6190はサハ25)に編入されました。本系列は第wカウ構造から鋼製化改造の対象外とされ、電動車は昭和8年までの国鉄線上から除籍。三信鉄道(現 : 飯田線)や南武鉄道、博多港湾汽船(現 : 西日本鉄道)や駿豆鉄道に譲渡され活躍しました。付随車は戦後の1952年まで国鉄線上で活躍したようです。
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東京最後のモハ1セット【デハ23500,33500/モハ1系列】1-016
¥12,000
中央線最後のモハ1の編成と思われる、 モハ1043/1048/1052(旧デハ33500)、サハ19056(旧サハ6410)の4両セットです。 キット内容は屋根、車体、台枠、床下機器です。動力ユニット(TM07-R)、パンタグラフ(PS11)、連結器は別途ご用意ください。
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宅扱い貨物列車セット 1-015
¥25,000
本キットは宅扱い貨物列車の編成のセットです。キットには、ワムフ1、ワキ1(1~50タイプ)、ワキ1(51~140タイプ)、ワキ1(141~290タイプ)が各々2両ずつ、ワ50000/ワフ50000の3扉と4扉タイプが1両ずつの計12両が含まれます。ワ50000/ワフ20000向けのTR11台車、連結器、車輪が別売パーツです。(ワキ1/ワムフ1向けのTR24はセットに含まれます) セット内に含まれる車種同士(ワ50000→ワキ1(141~290タイプ)、ワキ1(141~290タイプ)→ワキ1(51~140タイプ)、など)でしたら、オプションから車種変更が可能です。両数は変更できません。 1926年に特別小口扱い貨物として誕生、32年に宅扱と改称された鉄道省提供の貨物輸送サービスは、現在の宅急便の先駆けともいえるものでした。当時、貨物を輸送するには基本的に大口輸送か小口輸送かの二択でした。大口輸送は貨車を自前で準備するシステムでシンプル。しかし小口貨物は極めて複雑な輸送体系と運賃体系であり、不便を極めていました。そこで宅扱が登場です。運賃を単一等級制とし計算を簡易化。さらに集荷/配達を含めた戸口から戸口まで輸送するというまさに宅急便の精神そのもののサービスでした。そしてそれに合わせ宅扱専用の専用の急行貨物列車、”急行宅扱貨物列車”が設定されるように。これは高速性と定時性を主眼に仕立てられた急行貨物列車であり、まさに戦前のスーパーレールカーゴといえる列車でした。 さて、そんな花形高速貨物列車にはワキ1という専用貨車が割り当てられました。しかし、次第に需要の急増にワキ1の増備ではこたえられなるように。そこで高速走行が可能な電車を改造して貨車にする案が浮上。こうして誕生したのがワ50000/ワフ20000です。ワ50000/ワフ20000は、塗装こそワキ1と揃えられていたものの、種車が16m級木造電車であったため、ダブルルーフ、木造車体、トラス棒装備のスタイルでした。これらは当時最新の貨車であったシングルルーフ、鋼製車体の13m級ワキ1の専用貨物列車編成の中に混結されて運用されました。見た目にはとても面白い編成であったろうと思われます。ちなみに、牽引機は電化区間ではEF51、非電化区間ではC51が担当。急行旅客列車並みの最高速度で運転されました。
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TR73台車 3-017
¥700
本製品は、3軸台車のTR73を再現したキットです。集電非対応となります。また、車輪及び連結器(KATOカプラー推奨)、車体へのねじ止め用ねじは各自ご準備ください。 2両分入り。
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ワ50000/ワフ20000 2-074
¥2,000
本キットは電車改造貨車のワ50000/ワフ20000のキットです。台車と床下機器、表記インレタ及びベンチレーターは別売となります。3扉と4扉の二つのタイプを模型化しています。 1926年に特別小口扱い貨物として誕生、32年に宅扱と改称された鉄道省提供の貨物輸送サービスは、現在の宅急便の先駆けともいえるものでした。当時、貨物を輸送するには基本的に大口輸送か小口輸送かの二択でした。大口輸送は貨車を自前で準備するシステムでシンプル。しかし小口貨物は極めて複雑な輸送体系と運賃体系であり、不便を極めていました。そこで宅扱が登場です。運賃を単一等級制とし計算を簡易化。さらに集荷/配達を含めた戸口から戸口まで輸送するというまさに宅急便の精神そのもののサービスでした。そしてそれに合わせ宅扱専用の専用の急行貨物列車、”急行宅扱貨物列車”が設定されるように。これは高速性と定時性を主眼に仕立てられた急行貨物列車であり、まさに戦前のスーパーレールカーゴといえる列車でした。 さて、そんな花形高速貨物列車にはワキ1という専用貨車が割り当てられました。しかし、次第に需要の急増にワキ1の増備ではこたえられなるように。そこで高速走行が可能な電車を改造して貨車にする案が浮上。こうして誕生したのがワ50000/ワフ20000です。ワ50000/ワフ20000は、塗装こそワキ1と揃えられていたものの、種車が16m級木造電車であったため、ダブルルーフ、木造車体、トラス棒装備のスタイルでした。これらは当時最新の貨車であったシングルルーフ、鋼製車体の13m級ワキ1の専用貨物列車編成の中に混結されて運用されました。見た目にはとても面白い編成であったろうと思われます。ちなみに、牽引機は電化区間ではEF51、非電化区間ではC51が担当。急行旅客列車並みの最高速度で運転されました。 しかし戦争の激化に伴い宅扱いは廃止に。ワ50000/ワフ20000も通常の有蓋車として運用されるようになりました。戦後、急行便などが登城するもワ50000/ワフ20000はその用途には供されず、一般用途に供されました。しかしこれも新型の貨車に押される形で廃車。一部が救援車ナエ7200に改造されるも1953年までに消滅しました。
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サロ33250/サロ17 2-070
¥3,000
本キットからは、サロ33250/サロ17を製作することができます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力は別途ご準備ください。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。付随車は鋼体化され長く活躍しました。戦後も生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、二等付随車のサロ33250のキットが含まれます。実車は前系列のサロ33200によって需要が賄えてしまったため、1形式1両しか登場しなかった珍車でした。
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サハ33750/サハ25_2両セット 2-069
¥6,000
本キットから、サハ33750/サハ25が制作できます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力は別途ご準備ください。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。国鉄線上からは昭和10~20年代に消えましたが、生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、三等付随車サハ33750のキットが含まれます。サハ33750は登場時から両線に大量に投入され、運用されていました。鋼体車が主流となった後にも鋼製電動車に挟まれて長く活躍していたようです。
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デハ33500,23500/モハ1(クハ23500/クハ15)_2両セット 2-068
¥6,000
本キットからは、デハ23500/33500(のちのモハ1)が制作できます。 キットには車体本体と床板(台枠)、床下機器類、台車、屋根、ベンチレーター類が含まれます。車輪、連結器、パンタグラフ、必要な場合は動力(鉄コレTM-07R推奨)は別途ご準備ください。 デハ33500系列は大正10(1921)年から大正12(1922)年にかけて製造されました。本系列は、本邦の電車で初めて乗務員室用の扉を装備し、運転室と客室が完全に分離されていました。普通車(3等車)においては3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のないスタイルでした。昭和3年にモハ1、クハ15(電装解除されたデハ23500)、サハ25、サロ17に改称。小田急、鶴見臨港鉄道、西日本鉄道などの私鉄にも譲渡され活躍しました。国鉄線上からは昭和10~20年代に消えましたが、生き残りが西武鉄道、琴電、一畑電車といった私鉄に譲渡、又は救援車への改造といった第二の人生を歩みました。また、1両が名古屋のリニア・鉄道館に現在も静態保存されています。 本セットには、基幹系列となる三等電動車デハ33500/23500のキットが含まれます。また、デハ23500もデハ33500と同様の車体を持ちますが、床下機器に差異があります。登場時はデハ33500は京浜線、デハ23500は中央、山手線で分けて運用されていましたが、デハ23500が消えた後はデハ33500が両線で運用されていました。
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ナロフ21270 2-067
¥2,000
本キットには大型木製2AB客車の二等緩急車のナロフ21270が含まれます。お好みの時代、場所に合わせて活躍させてください。転換クロスシートを備えていました。 キットには車体、屋根、床板と台枠、トラス棒が含まれます。台車、連結器、ベンチレーター(T型)、床下機器は各事ご準備ください。 鉄道省(後の国鉄、JR)の客車は、昭和2年に初の鋼製車オハ32000(→オハ31形)が登場するまでは木製でした。大正9年、従来の客車を大型化した客車としてホハ24400(→ナハ22000)が登場。これは昭和3年に二等車や食堂車などと合わせて20000番代の形式にまとめられ"大型木製客車"と呼ばれるようになりました。多くは17m級車体に2軸ボギー台車を備えていましたが、一部特急用では、20m級車体に3軸ボギー台車を備えた車両もいました。製造両数は代表形式のナハ22000だけでも、客車1形式としては最多の1687両、全体としては約3900両に及ぶ大量増備が行われ、主力形式となりました。昭和3年以降、鋼製客車の増備に伴い優等列車での使用は減少。荷物車や三等車、通勤型、合造車などに改造され優等車の多くは戦前のうちに原形を失いました。その一方、普通列車では三等車、荷物車として主力として活躍。戦後も、ローカル線だけでなく、幹線の普通列車でも使用されるなど健在でした。しかし、老朽化のため、昭和24年以降鋼体化客車に改造。昭和31年(1956年)までに消滅しました。
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ナロフ21200 2-066
¥2,000
本キットには大型木製2AB客車の二等緩急車のナロフ21200が含まれます。お好みの時代、場所に合わせて活躍させてください。転換クロスシートを備えていました。 キットには車体、屋根、床板と台枠、トラス棒が含まれます。台車、連結器、ベンチレーター(T型)、床下機器は各事ご準備ください。 鉄道省(後の国鉄、JR)の客車は、昭和2年に初の鋼製車オハ32000(→オハ31形)が登場するまでは木製でした。大正9年、従来の客車を大型化した客車としてホハ24400(→ナハ22000)が登場。これは昭和3年に二等車や食堂車などと合わせて20000番代の形式にまとめられ"大型木製客車"と呼ばれるようになりました。多くは17m級車体に2軸ボギー台車を備えていましたが、一部特急用では、20m級車体に3軸ボギー台車を備えた車両もいました。製造両数は代表形式のナハ22000だけでも、客車1形式としては最多の1687両、全体としては約3900両に及ぶ大量増備が行われ、主力形式となりました。昭和3年以降、鋼製客車の増備に伴い優等列車での使用は減少。荷物車や三等車、通勤型、合造車などに改造され優等車の多くは戦前のうちに原形を失いました。その一方、普通列車では三等車、荷物車として主力として活躍。戦後も、ローカル線だけでなく、幹線の普通列車でも使用されるなど健在でした。しかし、老朽化のため、昭和24年以降鋼体化客車に改造。昭和31年(1956年)までに消滅しました。
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